隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

そんなにアドリブは必要かしら

アドリブは難しい。観ている方も難しい。
このコロナ禍で、舞台が中止になってしまった友達の声優や女優さんがネットアプリを使って、インプロ(即興劇)やったりアドリブ合戦のイベントやったりで、お声がけいただきあれこれ観たりなんだりしたのだけれども。
基本的に私は台本ありが好き…。

内輪向けに疎外感

タカラヅカは大変特殊で、なんたって内輪受けの世界だから、千穐楽や役者の誕生日に何かネタを仕込むのはお約束であり、観客席も期待に満ちている。
舞台の空気や役を守るためには、一期一会のその機会にその舞台を観たくて物語の世界に酔いたい観客のためには、そんな楽屋オチのネタは挟むべきではないし、その観客席の中には生涯ただ一度の初めましての観客もいる。そうした観客のことを考えるならば、役や話をぶった切ってまでやることではないのだ、アドリブは。

ほんのひと言…

ちょっとした舞台上のアクシデントをフォローしたり、流れを取り戻す為のアドリブは、観ている側もちょっと緊張して、空気感を途切れさせないよう協力的な雰囲気を作るもの。気にしてませんよ的な。あとはちょっとクスッとして。アクシデント以外では、それこそ主演の誕生日や千穐楽において、決して邪魔にならない場面でひと言アドリブが差し込まれると、わーっと拍手が湧いて、皆嬉しく得した気分になる。やはり加減が大事と思う。

ただいま公演中の中では

退団公演である雪組fffにもシルクロードにもアドリブシーンがあるようで、特にショーの方では日替わりアドリブ用場面が用意されている模様。毎日のレポを観てはちょっと面白く思いつつも、そんなアドリブ推しのイメージを当初、退団公演にも雪組にもあんまり持ってなかったものだから、何となく意外に感じた。

宙組アナスタシアでは、グレブのワンシーンがアドリブらしいアドリブシーンか。他にもちょいちょいあるみたいだが、1度しか観ておらず何がオリジナルでどうアドリブにアレンジしているのかわからない。2月に何度か観劇予定だけれど、違いに気をつけて観劇したい。
ちなみにグレブのアドリブシーンは、キキちゃんは悪くないんだが演出家は悪い。
星風アーニャはあのアドリブを役として受けるわけにはいかず、役のグレブを逸脱しており、完全に蛇足となっている。

アドリブといえば

直近で、アドリブが冴え渡りかつ非常によくできていたのが月組のピガール狂騒曲。
演目がコメディ(で、いいのか?)タッチで全編通して明るく、各アドリブが芝居の流れを阻害することなくかつその役柄とアドリブが実にマッチしていて誰も彼もが上手かった。
特にロートレックのからんちゃんは、芝居の上でのロートレックのポジションを決して逸脱せず、光月るうのアドリブもあの役あってのもので、月城かなとロングトーン後に関しては、ロングトーンという見せ物を挿入することによって、この場面が他の場面と比べて特別な時間であることを観客に教えてくれているという構成。演出が生きているし、各ジェンヌが役を殺さずアドリブで生かしていた点で、芝居のレベルが高かった。まるで筋書きの決められた即興劇というか、各役者の役のつかみが確かだったのであんな風にとても自然に流れよくみえたのでは、と思う。

たとえなくとも

上演中の花組ナイスワークもそうかもしれないが、海外ミュージカルは台詞にも厳格な場合があり、アドリブの挿入や台詞をアドリブに差し替えることを禁止しているものがある。
著作権や版権は、作品を守る為にアドリブひとつの有無にも言及される。
それだけお芝居と登場する役柄は大事に守らなければならないものなのだと理解できる。
一言一句、練りに練られ推敲を重ねたことばが台詞となって紡がれるものは、アドリブよりも大事にされる必要があると、私も思う。

何を観たいか

アドリブが大好きな観客も多い。大好きなご贔屓の素顔が垣間見える気がするからだろう。
芝居なんて二の次で、贔屓が何やっていても絶賛しかないから、贔屓が台本通りの方がつまらないという層が存在する。なにせ劇場に連日通っているのだから、日替わりアドリブがあった方が楽しいに決まっている…

私はそういう観劇はしないしできない。連日劇場に通えるコネもない。だから、例えばベルばらならせっかくの観劇の機会には「スタンダードな理想的なベルばら」が観たいと思う。タカラヅカでアドリブ場面が話題になる舞台がたまたま続いているだけかもしれないが、アドリブのためのアドリブは、無理しないでいいよといいたい。


にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 宝塚歌劇団へ
にほんブログ村