よく、タカラヅカ好きはディズニー好きっていいますけど。
まあディズニーのファン層が広大なので、大体の人が両方好きって被るでしょうよ、ていう話なんだと思いますが。
私は幼いころ、親がディズニー製品を主に金銭的な理由で子供に与えなかったので(笑)、ディズニーランドに行ったのも自治会の遠足でいったのがはじめてで、その後高校の卒業遠足でいったのが最後かな。ランドやシーは楽しいに違いない、と思うも、キャラクターなどにはあんまり思い入れはない。
そんな淡白な私でも、まだティーンエイジャーの時に一人で観に行った「美女と野獣」のアニメ映画の美しさは今も覚えている。
あの独特の触感を伝えてくるやわらかい動きや、跳ねるような歩き方など、ディズニーアニメってかなり癖がある。けれどどれもとにかくハイクオリティ。
あらためてじっくり鑑賞アナスタシア
2回目は、2階席後方の端のほうで観劇しました。急こう配に驚きつつ、1階席のように前の人の頭も気にならず、舞台全体が見渡せて、距離はあるものの、見やすいですよね。この2階席からのんびり観劇っていうのも楽しみ方のひとつ。
俯瞰してみるとますます、遠いおとぎ話のようでしたが音楽が多いので、観るというか聴くというか。
初回には気にならなかった、ロマノフ王家ご一同の幻って、結構頻繁に出てきてたのねぇ、と気が付く。
あとどんなに遠くからみても、マリア皇太后の組長が美しすぎる。
それに、主人公真風ディミトリの足の長さ、体格の良さが目立った。本当にマカゼさんてゆりかちゃんていうの?うそでしょ?て思ったね。
よりさらさら流れる芝居に
初回は1月はじめの、東京公演始まって割とすぐに観たのですが、全体の流れがさらさらサクサク、て感じにみえました。
元々このアナスタシアって、物語がどんどん進んでいって、鮮やかに場面転換が続いていくので、展開を追うだけで忙しい。
ヒロインのアーニャは記憶喪失の女性で、登場からずっと必死で、ネズミのようにちょこちょこ動く。星風まどかの演技あるあるで、なんか焦ってるように、いつも切羽詰まっているようにみえるけれど、今作では
記憶喪失→東京~宮古島間と同じ距離を徒歩で移動~理由はわからないがパリに行かねばという義務感~革命後のレニングラードで生きるのも大変
っていうアーニャなので、星風まどかの必死感がしっくりくる。ただこちらとしては、アーニャがどうとかいうのではなく「記憶喪失のキャラクタ」への感情移入が難しいもので、どちらかというと彼女視点で物語を体験するというよりは、ヒロインを見守るような視点で物語を感じていく。
グレブ 運命の出会いが実らなかった孤独な人
2回目のほうがグレブがよくみえた。例のアドリブシーンは、この日は実にナチュラルで素敵だった。
グレブは、街で掃除婦としてのアーニャと出会い、ひとめぼれ。その後官舎で偶然の再会。さらには彼の仕事にかかわるかもしれないと、彼女との切っても切れぬ縁があることで、期待と不安を感じてパリにまで出向いたと思われます。
グレブの、アーニャとの恋物語としてみると、アーニャさえその気ならこれちょっとしたロマンス小説になりそうなのに、残念なことにアーニャにとってグレブは運命でもなんでもなかったという……。
ところで、このグレブという役、ブロードウェイ版はあの、ラミン・カリムルーが演じていたんですね。
ディミトリのどーしても気になる点
今回難曲を歌いこなしている真風涼帆だけれど、音程取りを頑張りすぎているのがわかりやすくて、役の心を伝える歌唱にまではまだ届いていないかなと、クソ生意気な感想を書いてみる。いくつかのシーンについては、完全に歌>>役であった。
でもこんな難しい「青年」というごまかしにくい役を演じている真風さんはすごくいい。同じ詐欺師でもダニー・オーシャンよりディミトリのほうがずっと難しいだろう。そして、結果としてディミトリのほうがよいんじゃないのこれ、というなんともいい男になっている。
ただ、例の、白い服での寝室のシーン。あそこがもっとわかりやすいラブシーンだったら、物語の最後の橋の場面が盛り上がるのになというわがままなことを思った。
あのシーン、幼少期の思い出を語っていたけれど、暗転前がひざまずいてアーニャの手にキス。会話的に恋の告白にもみえず、やはり本物のお姫様だと、皇女アナスタシアへの敬意を示し彼女を肯定するというシーンに思えた。
だからそのあとの、かなわぬ恋の別れとして描かれたエンディングの前に、1シーンだけもうちょっとわかりやすい恋の場面が欲しかった(わがまま)。まあ恋愛主体じゃないのでないのも当たり前か。
ディミトリの「届かない相手をずっと思い続けることはできないからお別れ」って、言われるアーニャの気持ちを思ったら切ないし、それを告げて去る彼の、その去り際にあの橋へやってくるあたり、ロマンチック。
再演はあるの?
この作品、私は「面白いけれど1度観れば充分かな」とそこまで夢中になるものではなかった。今回、コロナのせいで梅芸版がまともに上演できなかったので、数年以内にリベンジはありそう。その際にタカラヅカでも再演はあるのかも。
どの曲も美しいけれど、どれがメインテーマなのか、情報なしではぴんとこなかった。パリについたぞーのあそこなのかな?タカラヅカ版はディミトリ用の曲を挿入してしまったデメリットとして主題歌がちょっと薄らいでしまった。割とどれも同じような美しい曲だったので、思い返してみても、全く口ずさめない。ちょっとどれも難しいかなあ。
ただどこかで、アナスタシアのミュージカルが上演されるよ、となったら、キャスティングを観て興味ある人にお勧めはできる作品。
劇場観劇のときめきmoment
今回、平日の、18時半公演が15時半に繰り上がった回に仕事を切り上げて観劇したけれども、2階席は2/3ほどの客入りだった。もしかしたらもう少し席が空いていたかも。私がいた後方の端は周囲に誰もいないので、実にのびのびと楽~に観られた。
ムラの雪組公演もそうだけれど、別箱公演を除いて事前の友会の売れ行きよりも、毎日の劇場の空席はずっと多い様子。仕方なし。
そんな私よりも斜め前方に、小学生になるやならずやの小さな女の子が2人、発表会にくるようなきちんとしたワンピース姿で観劇していた。
連れのお母さんたちも若くて、子子親親 という並びで座っていた。
この小さな女の子たちの様子をそれとなくうかがっていたら、フィナーレになったらぐっと身を乗り出し(乗り出しても、彼らの後方もお客がおらず、どのみち小さかったので問題なし)、ぐっと見入っていた様子。やっぱりフィナーレはわくわくなんだなあ。