隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

宝塚とヅカファンとマカゼは時代を無視し続けられるか

今日は宙組「ホテル スヴィッツラホテル」の配信日。この日を待っていた多数のファンのひとりです、私も。観られるとは思ってなかったので。
どんなもんや、と思ったけれども公演期間中はよい評判しか聞こえてこなかった。たのしみだった。

というか毎日毎日、朝早く起きてから着替えて、またソファにねそべってスマホをいじったり本を読んだりしつつ、夕方ごろになったらごそごそ配信を観る準備という…
自堕落かつある意味大変贅沢な連休を過ごしている。でも毎日配信ありすぎてちょっと疲れる(でも観る)。

で、ずっと気になっていたことがある。

いまから20年以上前にはじまった「とある表現の規制」

前職で色々とご縁がつながり、私はとある当時の大ヒットアニメのスタジオを訪れ、そこの代表であり、業界でも有名なとあるアニメ監督と一晩過ごした(徹夜で仕事した)。
本来2,3時間で終わるはずの仕事が一昼夜かかったその晩、たくさんの話を聞いたなかで印象に残ったエピソードのひとつが「タバコ」のことだった。
そのアニメはテレビ放送版からヒットを受けて、その後劇場版公開と制作が続いたのだけれども、テレビ版と劇場版の間で、たばこの表現が規制された。
アニメの内容は近未来的な世界観というか、登場人物は男も女もほぼ大人で、特に渋い大人たちしか出てこないようなアニメで、人気に火をつけたともいえるOPアニメーションの出だしから、メインキャラがタバコを手にしていたし、それはそれはカッコよかった。

しかしこのタバコ演出のためにこの人気アニメーションは、地上波での放送に規制がかかり、初回放送はBS/CSとなった。当時は今のように、人気アニメを深夜で放送するような枠がなかった。アニメ放送は週末の朝か平日の夕方枠しかなかったので、アニメなら何でも観ようとする子供たちや、アニメ=子供のものと思い込んでいるアニメに関心の薄い大人たちの目に触れてしまうことを考えると、その表現の意味を考えてもらえる間もなく問答無用でアウトと判定されてしまい、放送枠が見つからなかったのだ。
それくらいに、メインキャラたちが男も女も関係なく煙草を吸い、その姿を「カッコいい」と思わせる演出になっていたことは、アニメとしてアウトとされた。
このタバコ表現の規制は現代も生きている。

煙草を吸っていることが必然のような主人公が活躍するこのアニメーションは、劇場版において、また作品のキービジュアル上で、タバコを吸う様子は削られることとなった。
10代の若い子が、20代のまだ夢見る子が、「タバコ=かっこいい」というイメージで手を出すことを、アニメが後押ししてはいけないと、業界は判断した。

劇場はあいまい

酒やたばこを『「大人」「おじさん」を表現するためのアイコン』としていた時代は終わった。サザエさんも昔はみんな喫煙者だったと思うが…。
女ならこう、男ならこう、という性的なイメージを固定化する表現についていまあちこちで問題視されているように、昔はただの「大人」を演出する小道具であったはずのタバコや酒についても、「大人のカッコよさ」にタバコも、酒も関係ないというのがいまや社会の常識となっていると思う。

思うんだけれども、劇場…それも宝塚歌劇ではまったくそういうことはない。もう不思議でならない。
カッコよさの演出に、男のダンディの象徴に、スパスパ煙草を吸いまくっている。なんでなの。
これらはなぜ、スミレコードに触れないのだろうか。

価値観が古いから

それをキャーカッコいい!カッコいいからなんでもいいじゃない、野暮なこと言わないでよ! とファンも歌劇側も思っているから がその理由なんだと思うけれど…
もう一度自らに問うけれど、なんでなの?

もう、なんでもよくない時代が来ているんだよね。全年齢向けの舞台ならば、「男(役)のカッコよさ」にタバコを、酒を使うことがいかに…的外れか。
それは確かにかっこいい。けれども、きもちいいからって(知らないけど)麻薬を吸うかっていったらたいていの人は手を出さないのと同じで、「だってタバコくわえてるシーンってかっこいいじゃない」の価値観の古さを問いたい。それはティーンエイジャーの中学生が、酒やたばこにあこがれる気持ちと何ら変わらない。

それじゃダメなのである。エンタメは。これは表現の規制なのだろうか?

マカゼは吸う(吸わされる)

誰よりも大人の男役を演じる、宙組の真風涼帆は、ホテルでも吸っていた。吸うだろうなあと思っていたけれど吸っていた。
もちろんかっこよかった。
色っぽかった。
最高に似合っていた。

でもそれでいいのかしら、と思う。宝塚歌劇には、女性が男を演じ、それを引き立てるための女を演じるために、表現を誇張する。誇張アイテムとしてタバコも酒も小道具として最適なんだろう。しかし考えたことはないのだろうか。そのアイコンはもう時代遅れだと。
禁酒法時代のマフィアの芝居ばかりやるのならば、舞台上はタバコの煙でまみれようとも、それは表現として必然かもしれない。けれども、この時代に男役が男を演じるときにふさわしいのは、はたして煙草なのだろうか?

宝塚歌劇にはたくさんの差別表現が潜んでいる。そのうちの半分以上は差別というより区別のための演出として、良心によってコントロールされていると思う。
けれども、30年前と同じ感覚のまま、あまりにも無邪気に使ってはいないだろうか。銃や煙草という、時代の問題児たちを。

男役の格好良さに寄り添う小道具は、もっと普遍的であっていいと思う。


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