隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

博多座に行ってきた①~川霧の橋は渡るの渡らないの~

関東から行くとさすがに近いとはいえない、福岡の博多座。けれどもほんっとうに空港からのアクセス抜群で、福岡空港着陸から20分もすれば博多座につけるの、すごい。うちは羽田空港へのアクセスがいいところに住んでいるので、ますます「通える…」と思ってしまった。生活があるのでそうはいかないけど、相変わらずいい劇場。

オマケに博多座、ちょっと(30秒くらい)歩くと、屋根付きの長いアーケード商店街がある。ここのなかにはぜんざいが人気のお店や、焼き飯と味噌ラーメンが大人気の中華屋(私は皿うどん食べに行った)とか、普通のお店がいっぱいあってね。長浜ラーメンの店もあるしね。幕間、外に出ようってここにきたら時間なんてあっという間。
というわけで、10数年ぶりに博多座へいってきた。

美しい劇場、博多座

前に博多座へ芝居見物にでかけたのは、坂東玉三郎さんが博多座初お目見えっていうお祭り騒ぎの公演のときだったと思う。劇場内の様子はあまり覚えていなかったが、今回いってみると、なんとも美しい内装でよい雰囲気で、居心地がよかった。
トイレの数も圧倒的だし、劇場内レストランの席数も充実している。今回は空港で食べた朝ごはんでおなかいっぱいだったのでかなわなかったが、今度は劇場でご飯たべてお金を博多座に払いたいな。

椅子は腰当のカーブが付き、座り心地よくお尻への負担も少なくてありがたかった。私は日ごろ自転車乗っているせいかお尻が痛くなりがちなので…。
今回座ったのは下手寄りの前から5列目くらいという舞台に近い席と、上手寄りの真ん中より後方の席。前方上手・下手寄りは音響の都合上、ちょっと近すぎるかなと感じた。
上手寄りの真ん中より後方の席のときのほうが舞台から遠いし、どうかと思ったが千鳥がしっかりしていて視界良好で大変見やすかった。
前に着物姿の女性が座っていたので、着物は帯をつぶさないように座ると、いわゆる前かがみとまではいかないが、頭の位置が高くなり後方に座る者にとってはちょっと邪魔になることがありがちだが、博多座の千鳥席は全く問題なくストレスなく舞台を見渡すことができた。
つくづく、東西の大劇場というのはかなり大きい劇場なのだなと実感した。博多座では結局、オペラグラスをあまり使うこともなかった。

川霧の橋はどこへ渡るのか

新生月組の新トップコンビ組にとってはとってもいい演目で、他組には失礼ながら「これはやっぱり月組のものだし、こういうのは月組が一番だなあ」と感じさせられた。
日本舞踊でも、和物芝居でも、先代そして新生トップコンビの月組が5組中随一である。
それでも若いところは若いと感じたが、京 三紗、梨花 ますみの雰囲気はさすが。購入したパンフレットでは、新トップコンビを差し置いて京 三紗さんが一番美しく粋で情感たっぷりのお写真であった。

どこが最高か

とにかく評価の高い演目である「川霧の橋」。どこがいいかって、やっぱり開幕の祭りの場面だと思う。
太鼓を披露し、そこから楽しい祭りにぱっと舞台がはなやいで。この場面の音楽も踊りもすごくいい。これぞタカラヅカの和物よ、という名シーンだと思う。
そして、話はさらさらと流れていく、スピーディに進んでいくのが観劇に向いている。1時間半で疲れずに飽きさせずにみせるにはよく構成したなあ…と、難しいことはわからない私のような観客ですら、なんかめっちゃよくできてるな!とわかるもの。

主人公やヒロインの心のうちみたいな表現も最小限にとどめているのも、かえっていいよなと思った。この時代の人たちそれぞれがそれぞれの事情のもと、単純ではない自分の人生というか、生活をしている感じは山本周五郎作品の空気があって。

にしても、初見だとそれなりに唐突な話にもみえるよね。

主人公は、そんなにいい男ではない…

ロマンス小説とか少女漫画のヒーロー的な主人公の幸次郎であった。
惚れた女には口下手で優しくできなくて好意も上手く伝えられず、ヒロインはちっとも彼を意識したことなどないのだから、普段どんな態度の男か知れる。
おみっちゃんがそっけなくかんざしを受け取るところ、とってもいい。気のない男からのプレゼントって、プレゼントと気が付かないレベルに関心が向かないものねぇ。

幸次郎の元ネタキャラ(原作 柳橋物語)では、火事によって川端で死んでしまうのは彼、幸さん。だがお芝居で死んでしまうのはお光の祖父。おみっちゃんと幸次郎の縁談が流れたあとは、世間体とかいろいろあるから、距離を置いての付き合いにとどめたい…となったあとに、幸次郎が命がけでお光と源六(光月 るう)を助けにくることが、お光にとってはとっても大きなことだったわけで、その後のお光が変わる出来事となる。海乃 美月はとても丁寧で、とにかくかわいくて、とってもよかった。

きれいでない職人のおやじ

月組の組長は毎度、舞台で目立つ人だ。他組の観劇にいくと、どこの組長さんも舞台での役割には重みづけがされているが、月組は特に目立つと感じる。
お光の祖父を演じた今作、舞台メイクがとてもよくて歌舞伎役者のようだった。お祭りシーンの後、杉田屋の前の通りにベンチタイプの床几台を出してみんなが思い思いに酒を酌み交わしているシーンで、ひょっこり下手から、お光とともに源六が出てくる。ここで彼がどういう気性の人間かがそれなりにあらわれる。
杉田屋からお光への縁談話と、それを断るくだりは、あまりくどい芝居をやると杉田屋のおかみさんが悪者になってしまうから難しい。
あの場面は、悪意も悪気も一切なく、幼いお光かわいさのあまり、我が子を亡くした女性がつい口にした言葉が思いがけず相手に突き刺さる というのが肝心。
組長・副組長コンビのこの芝居を、いつか月組の若手は引き継げるだろうか。川霧にも新人公演あったら面白かったのに~。

ちょっと大人の役

夢奈 瑠音と英 かおとはそれぞれ、主人公たちに対してより大人な役(年齢ということではなく)を演じていたのが印象的だった。
英 かおとは姿がよかった。かつらも似合う。新婚役も似合う。夢奈 瑠音はこういう役今後も増えるのかねぇ。棟梁役はある程度大きさが求められるが、お光と同世代の子供を亡くしているのだから老け役ってほどでもない。火事が起こってから半纏をまとい、きびきび動く姿が壮年の男性らしくまたるねちゃんの中にある男っぽさとマッチしていた。

おみっちゃんは夢を見ない

海乃 美月演じるヒロインお光の役の印象はぶっちゃけ「たいして好きでも愛してもいない男を、愚直に待つ女」であった。
彼女がそうしたのは清吉を愛していたわけではなく、そうしたかったからだろう。彼氏のことが好きだから付き合ってるんじゃなくて、「彼氏がいる私」が重要なの的な。
おじいさんと二人健気に暮らしている若い娘だが、露骨な言い方をすれば、嫁入り前の娘が祖父の女房役をやらされている日常を生きているわけで。こういうのって現代もあるよね。元々の控えめな性格もあったのか大それた夢をみるでなく恋に恋する乙女ってわけでもなく素朴な、いい子過ぎるいい子。幼いともいう。
そこに、ちょい悪で女にもてるタイプらしき清吉に迫られたことは彼女にとってとっても衝撃的で、好意を寄せられていた(と思った)ことがとにかくうれしくってYesという…悪くない、おみっちゃんは。
その悪くない娘さん感をうみちゃんはしっかり見せてくれた。

火事の後、記憶障害になるが、記憶を取り戻したところであんまりいいことは起こらない。戻ってきた清吉とのエピソードは具体的に演じられはしないが、つぎはぎの着物に着替えて橋のたもとで、ゆとりがあって幸せそうな幸次郎夫婦をみてしまう様子、その惨めな気持ちわかる。
大それた幸せをつかむ夢をみることすら、思いつかなかったような娘っこのおみっちゃん、数十分の間に苦労多き女になった。最後は美しいシーンで終わるが、心の平安への遠回りが切ない。

幸次郎…

新トップ、月城かなと。彼女のことを今後も全力で応援したい。

長くお光に惚れてはいても、破談となればちゃんと別のつり合う人と見合い結婚して相手を大事にするの、えらい。
この時代は当然、お互い好きあって既に関係持っていようが片想いだろうが、正式に夫婦になろうとするならば仲人をたてて縁談持ち込むのがスジなので、別に彼が意気地なしなわけではない。

しかし、ちょいよくわからん男という印象が残った。
寒暖差があるというか…いいところと、悪くはないが良くはないような部分があるよなぁ、とダルレークの時もチラッと感じた月城かなとの芝居。気がきくのかきかないのか、どっちなんだ幸次郎。

幸次郎って、伝わってくる人柄が本当ならば、もうちょっといちばん大事な子に必死にならん?て思ってしまう。とっても難しい役だ。

半次と清吉

初見の回はどっちもまあまあだった。二度目の観劇ではぐっとよくなって、より伝わるものが多かった。

半次(鳳月 杏)はまあ…ストーカーするんじゃなくて手を貸せよとどつきたい男ナンバーワン。

お嬢様に叶わぬ恋をして ← イイ
ときどき言葉を交わせるチャンスにうきうき ← イイ
でも決して一線は超えない近づかない ← イイ
それで火事でウッカリ振り払われ ←
娼婦になった彼女のことも見守るだけ ←

なんでダメ元でも助けようとしないかな…

いや、そんな簡単なことではないとわかってるんだけどねぇ。だから彼がやくざ者にどつかれるシーンがあるわけだし。
あと、最後の登場シーン、懐のモノに手を触れ決心を口にするところが、初回観劇の時は「え、その続きは⁉︎」と回収されない場面にみえたが、二度目の観劇ではしっかり〆ていた。さすが。
清吉と半次のこの関係とやりとりとその先の運命は、原作 ひとでなしの方のエピソード。

一方清吉を演じる暁 千星は、なんかこういう役またやってるね感。
柳橋物語にしろ、ひとでなしにしろ、この清吉の役割は非道。とにかく非道。
なんだけど、女にとっては、もしかしたら清吉はいい男なのかもね。生活抜きで付き合うならだけど、ホストクラブではナンバー取ってるし仲間に結構慕われてるヤツ、みたいなキャラにみえた。

先回りしておみっちゃんにプロポーズする場面からもっと悪魔のささやき的な、危険な男でいいと思う。回数重ねるごとにいっぱい伝わってきたのでどんどん良くなってたってことよね。

清吉もいいけどありちゃんの幸次郎もいつか観てみたい。

春海ゆうがイイ!

今舞台の私の中でのMVPは何と言っても彼女、春海 ゆう。権二郎役。情緒があってとっても良かった!文句なしによかった!!

のん兵衛の飛脚、権二郎は主要登場人物たちの知り合い・お友達枠といおうか。江戸の空気をまとい主人公たちの生きている生活の、その世界を形作る役割り。
権二郎はその中でも唯一、大阪にてグレた清吉にばったり出くわし、(余計な)情報を与える重要な立ち回りが。
お世話になった杉田屋を飛び出した後、どうやら真面目に仕事の修業をしているわけではないことは、清吉を一目見ればわかったはずだけれど、そういったことには気が付かないというよりも突っ込まない・おせっかいはしないのがこの時代の江戸の人情のありかた。春海 ゆうは和物がいいねぇ。桜嵐記でもよかったけれど。

ショーのドリチェでも彼女は活躍しているが、私が観た回でたまたま、ショー序盤で舞台中央寄りに落ちた誰かのアクセサリーをサッと拾って、その後の場面で後方の階段へ向かい歌っていたのだけれど、手の中に拾ったアクセを隠しつつ、手そのものの形はキチンと振り付けというか、指先までポーズしていて、なんか感動した。
オペラグラスで確認しちゃったもの。

これが半分

月組、恐ろしいことにこれで人数が半分。
みんなうますぎる。本当にこの組は芝居がうまい。ほか、辰巳芸者の小りんを演じた晴音 アキもよかった。私は歌舞伎ファンなので辰巳芸者にはうるさい(笑)のだけれども、辰巳芸者ってのは深川の芸者のことで、意気とか張りとかまあ、とにかく誇り高き芸者さんたちなんだけれども、美人でいい芸者だった。
チーム芸者、チーム長唄のお師匠に通う娘たち、チーム夜鷹らの女役者たちはどれもよく研究されていたし、チーム杉田屋の若衆たちも粋でいなせな雰囲気を作っていたし。
ショーでは人数の少なさ・舞台の小ささを実感したが、芝居では、いっぱいいるなあ…と充実感を感じられた。

橋の存在

初回、下手寄りの前方席で観劇したときに、ちょっと気になったのが、「上手奥の橋から、次から次へと人が出てきては引っ込むなあ」という演出。
当然わざとなんだけど、観ている角度的に妙にそれがおかしかった。

最後にこの橋は舞台全面にかかり、印象的な幸次郎とお光の蛍のシーンとなる。ポスターの場面ね。長い長い回り道を経て、2人がやっと互いの手を取りあい、一緒に橋を渡ってゆくシーン。
SNSでみかけた、どなたかの感想で「おみっちゃんは最後にやっと橋を渡る」という演出の意図について触れていた方がいて、なるほどお、と思った。

この芝居、描かれてはいないが、この後半次はきっと清吉を殺めてしまうわけで、その顛末は杉田屋やおみっちゃんたちにも当然知れるところとなるだろう。あの祭りの日に、幸次郎を次期棟梁に、そして共に研さんしてきた半次と清吉をその後見人に、という晴れやかな…あの日の人々の運命は、それぞれの結末をむかえていくわけだ。
幸せをつかむ幸次郎とお光ですらこんだけしょっぱい運命であることにこの物語を皆が好きになる理由があるんだろうな。
私もやっぱり、好きだし名作だと思う。





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