隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

王家に捧げる配信を観た

忘れがちだが、日本とロシアは隣国である。だから北方領土問題なんてものも抱えている。
ロシアの東端側に日本がある。反対側、ロシアの西側下方にウクライナが接していて、戦争はそこではじまっている。そんな時代の「王家に捧ぐ歌」。

作品そのものに感動するというか、世情を思い、いろんな感情を掻き立てられる公演で、観る側に「どう生きるか」ってことを揺すってくる作品で、目の前の歌や役者や台詞そのものに感動させられた……わけではなくて。
それら、歌や役者や台詞やらが媒介となって観るものにいろんな思いを想起させ、それによって涙がこぼれるような、そういう思い出深い観劇体験となった。
舞台の完成度が高くなければ、いくら楽曲がよくても響きはしなかったろう。

一番良かったのはアイーダ

可愛い舞空瞳が毎回ブサイクなのが不思議なポスター関係。白と黒のカラーリングで分けられたエジプトとエチオピアのはざまで、いろんな意味で生きづらい状況のアイーダの衣装が白と黒のストライプに、紗がかかったような全体的には黒なんだけど…という巻きドレス風 なのは意図としてすぐにわかった。
んだけど、あの色味と太い縞模様の配置では、舞空瞳をも太って見える(体型がすっきり見えない)効果には驚いた。オバチャンびっくりよ。配信映像だとラインがもっさりしてしまうのはシマウマと一緒で背景と混ざる保護色になるから結果的に膨張するんだろうね。
綺麗に見える衣装にしてやってよ、とちょっと思ったんだけど太ももが美しかったのでいいのかなあ。
決して冗談ではなく、魅せられる太ももはアイーダの可憐さ・清潔さを引き立たせていていやらしくなく、それでいて彼女が魅力的で、役者としてとっても華があった。
いままで観た舞空瞳演じる役では一番、好きかなぁ。

鳩チャンことエチオピア王、とてもよかった

輝咲 玲央演じるアモナスロについては、衣装と合わせてよかった。変更された衣装が成功していたのはこの人とあと何人かくらいだったかなと思う。
彼が強くないと、アイーダの葛藤と選択まで軽くなってしまうので、その点しっかりした王様でとってもよかったし、お芝居全体をみて、あの王様の人誰だろう?って気になる役者さんとして映った。すんごいベテラン俳優がやっているように見えて、中身が若い娘だなんて信じられない。

3人のエジプトの白い人たち、よかった

美味しい配役であったなと思う。簡素な衣装も芝居の中の役割にも似合っていたし、一部で評判の悪い舞台装置にもしっくりきていた。
この3人のうちひとりが天寿さんだったかな?相変わらずうまいよねぇ、こういうの。

アマデウス・ラダメス……

この端末が「ラダメス」と入力するといきなり羅打雌って変換するからびっくりしたよね。それじゃポスターから妄想した池袋抗争のほうだから…。
ファンなら聴きたかった、名曲の数々をラダメスこと礼真琴が歌い上げる姿を。歌だけじゃなく本舞台で役として歌い上げる姿を。それは期待通りであった。
ポスターはアレだが、動く礼真琴は長い金髪も美しく、メイクも別人というか、不思議と過去上演されたラダメスを思い出させる。

礼真琴のラダメスはまっすぐで、なんというか、そりゃ死ぬよなっていう生き方。この人が演じると、そのキャラは優しくてまともなんだけど周囲が狂いだす…みたいな
なんかそういうサークルクラッシャーみたいなものに見えてくるのはなんでだろう。
といっても今回の役はそこまででもなく、諍いの渦に流されていく人のひとりであって、仕方ない感じ。相変わらず、主人公なのに脇役に見えるというか強いけど弱いというか。透明。青い妖精さんみたい…。

新しいお衣装

衣装が、というかポスターが大不評だった本作品。そもそも名作と名高い舞台だったからこそ、なんだか安っぽく見えるのがファンには納得がいかなかったのかもしれない。
実際に舞台を観てみると、衣装チェンジそのものはアリだと思ったけれど、個別の衣装についてちょっと雑…?で、意図や細心の注意を払った様子はなかった点が惜しい。

たとえば、「すべてに意図があり細心の注意を払って作られた舞台衣装」として、日本では四季がやっている「ライオンキング」が思いつく。
果たして今回の王家の新衣装は、ライオンキングのレベルまで配慮されていたかしら?と思うと、疑問。キャラによって非常に温度感を感じたし出来上がりの差が出ているなと感じた。特にエチオピア側某キャラのGジャンを見たときにがっかりした。

あと新しいといいつつも、男役の演じる男性キャラの衣装=現代風 なのに対し、娘役の演じる女性キャラたちのドレス衣装のほとんどはどこか普遍的というかクラシカルなイブニングドレスにも見えて、男性キャラたちほど現代的とは感じなかった。この差が意図的なのかわからないが意図があるとしたら何だったのか伝わってこなかった。
街着・普段着風のカジュアルな素材に包まれた男性キャラたちに比べて、女性キャラたちの衣装が大変保守的に見えた。

とはいえこの全体的な衣装刷新について、あらためて前回上演の宙組の映像と見比べると、あのスケール感は喪失している。大劇場じゃなくちゃあれはやらないよ、という演出家の意図かなぁ、と思う。御園座のスケール感はわからないけれど、東西宝塚の劇場はとにかく日本で最も大きな劇場の部類なので、装置や衣装を変えることはとても理解できる。
私自身が、実際の舞台から特にネガティブな印象を受けなかったのは(旧来のゴールド衣装に愛着がなかったのもあるが)、「もとの金のギラギラは果たして適切か?」という、アレもアレで古臭いというか、エジプトを誤解していると思われちゃわないかしら、という疑問があるから。

しかし、舞台装置のヒエログリフには何と書いてあったのだろう。
エジプト人エチオピア人が観て不快に思わなかったのならこの舞台は成功だが、うーんとなったらよくないことと思う。

例えば、ウィーンで日本の戦国時代を描いたミュージカルが作られたとする。登場人物のNOBUNAGAとかHIDEYOSHIの衣装が初演・再演時は多少誇張された着物だったが、今回の再演時に「刷新」されて、アメリカの若者みたいなNOBUNAGAが出てきたとする…。私たちがそれを見て文化を勘違いしていると思ったら、たぶん失敗。
フィクションとはいえ、お衣装には文化的民族的背景があるから、とってもセンシティブな問題をはらんでいる。そこが、新旧どちらの衣装であっても適切なのか?とっても難しい。

星組はなんか怖い問題

まあ、アムネリスは有沙瞳でよかったんだけど、相変わらずのボス娘感よ。
幕切れにアムネリスの言葉で紡がれる台詞は、この世の中にあまりに突き刺さる台詞でこちらも胸が熱く涙がこみあげてきた。

アムネリスにはお付きの侍女たちがたくさんいて、彼女たちに慕われる気高い王女で、「私はファラオの娘だから」と強いソロ場面もある。芝居の締めも担う。
最初っから捕虜・奴隷で顔がうつむきがちな姿勢を強いられるアイーダとは真逆の、ツンと鼻と顎を天に向けているのが似合うお役。
これをトップ娘役ではないが星組のボス娘やんな、て感じの有沙瞳が堂々と演じ切るから凄みがあった。

前回のネオダンにて、舞空瞳がずいぶん扱いが悪くて、有沙&小桜が重用されている様子が、なんか側室の権力が強くてよそからやってきた若い正室が苦労している宮廷みたいだなぁ…なんて妄想がはかどったんですが、星組は昔っからとにかく娘役の上下がキツイ、上級生娘役がキツイと歴代いわれているよね。事実無根であってもそういう噂が立つようにみえる組っていう印象がいまも続いているのがなんだかおもしろい。

この作品のように、主演娘役が2人いて…みたいなのってぱっと思いつくのはアーネストインラブかな。序列を重んじるともやもやするがそういうの関係ない若手で上演するなら大変いい構成と思う。今舞台でもちょっともやったのは、要するに有沙瞳に対して舞空瞳は舞台で弱いということだろうか…。

私としては、ロクモのころに比べて、ただ踊れるかわいい娘役から、情緒豊かな、感情移入できるお芝居をしてのびやかに思いを込めて歌える素敵なトップ娘役さんとして開花している舞空瞳が爆発するような作品をもっと観てみたい。
実は礼真琴にしても……、本当にハマる役はまだ、この人はやりきってないんじゃないかという可能性ばかり感じる。
それが次回のめぐり逢い…ではないといいなと思う…。うーん。北翔さんがやりきってしまったメリーウィドウとかどうだろう。






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