隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

キスとナイフとタカラヅカ

WOWOWでKバレエカンパニーのバレエ作品をいくつか放送するよ、というCMが流れていた。その映像のなかに、舞台上で思いっきりキスをするシーンがピックアップされていて、ぎょっとしたと同時に「そういえばバレエって実際にキスシーンでキスするんだよねぇ」ということを思い出した。

この時の私の感覚は「バレエでもわざわざ実際にキスをする」「バレエなのにキスを」みたいな感じ。
ミュージカルに限らない普通の舞台でも映像作品でも、役者同士がキスシーンで実際に唇を合わせるのは何の珍しいことでもないのにね。
バレエやミュージカルの舞台文化が欧米由来のものであることを考えると、向こうはキスの閾値が低いから、別に実際にすりゃいいじゃん(唇触れ合うレベルなら)ってことなんだろうか。
むしろタカラヅカのような、している振りにとどめる方が不自然な演出ととらえられるのかもしれない。わからんけど。
舞台芸術はもちろんその国の宗教や生活習慣などに大いに影響されるものなので、よそはよそ、うちはうち、でよいかと思う。欧米が正義ではない。

地味に気になるキス問題

観客の私としては、実際にする必要はあるんだろうか?と疑問に感じることはある。「お芝居」なんだからリアリティを追求するにしても「振り」であるべきでは?ということも頭によぎったりする。若手の人気俳優が男女問わず、ラブシーンで実際にキスをすることが客寄せになっていることも、いまだにあるのかもしれない。

昭和はテレビドラマでも映画でも、これが大いにあった。それがいったん当たり前になり→過剰になり→表現規制があり→妥当なところに落ち着き→いまはまた、少し神経質になっている気がする。あくまで私がそんな気がするだけだが、それというのも今どきの若い10代~30代くらいまでの若い世代は、そのひとつ前の我々の世代よりもより真面目で繊細のように感じることがあるからだ。

みんな気にするOGキス問題

卒業し、ファンの予想通りいやそれ以上に大活躍中の真彩希帆さんが、ドン・ジュアンに出演となったとき、喜ぶとともに皆「キスは振りで済むのか」「振りだった、ちょっと安心した」といったことがSNS上で静かにつぶやかれまくり、なかなか注目されていたことを思い出す。「それ(キスシーンでキスをする)」が実際問題大したことじゃないのはファンもわかっているが、なんとなく保護者のような過保護な気持ちがわくもの。
タカラヅカがラブシーンでキスを振りにしているのは当然ながら、実際にやる必要がないからという事実をよくわかっているためと思う。
そしてなにより「女同士だから」という単純な理由なのではないかとも。

ラブシーンで表現したいもの、観客がみたいものはその心の動きであって行為そのものではない。シチュエーションが大事だったりする。

表現って……演出って……

肉欲も含めた愛憎関係の表現が巧みだったなあ、と思う直近の舞台は「夢千鳥」が思いつく。過激な絡みはなかったのに過激な感情を観客に伝えてきていた。
私が観たいのはそういうものだし、お芝居の表現のうち優れた演出ってそういうことかなあと思う。
リアルさを求めるため、実際にその行為を行うことほどリアルなものはない という考えや演出方法があることはわかる。でも歌舞伎において本水(ほんみず)という、本当の水を舞台上でじゃばじゃば使う演出を、夏場の興行とかちょっと特別な機会のお祭り気分な演出で使用し、普段は布、三味線や太鼓の鳴り物によって水を表現しているのには意味があることで、舞台芸術において、なんでも本物であればいいってことではないことを、舞台の向こう側もこちら側も知っている。

昔々、私が観た「お茶と同情」という(確かこの題名だった)舞台。
当時私はティーンエイジャーだったが、親の教育方針で9歳になるあたりから、舞台鑑賞をいっぱいしてきた(なんかそういうこども芸術鑑賞会みたいなのに加入してた)ので、お芝居観劇自体は慣れていたものの、この「お茶と同情」というお芝居ではじめて、役者が舞台上で、タバコを吸ったりビール飲んだりケーキを食べるのを本当にやっていて驚いたのを覚えている。それまでの私は、お芝居といえば空っぽのコップを掲げて飲むふりをするのが、お芝居だと思っていたから。
終始、普通の家庭のお茶の間で進行する家族のはなしだったが、深刻なテーマもあったはずなのにいつの間にか、昔の実家の風呂場のタイルの色が何色だったっけ?
みたいなやり取りが続く、非常に面白い舞台だったなぁ。
家族親族が集まると話が四方八方に散らかりつつ、お互いの家の事情がチラホラ出つつ、会話が途切れることなく続くという場面においては、空っぽのコップを飲むふりではなくて本物のお酒や煙草が吸われている状況が、ぴたりと意味を持っていたように思う。

お稽古から手を抜かない姿勢

タカラヅカスカイステージに加入すると、お稽古場の様子を知ることができる。はじめてスカステみはじめたころ、とても驚いたのには、いくらカメラが入っている日だからとはいえ、みなさんオシャレなこと!きれいなこと!!私の知っている役者連中とちがう!
お稽古着の、ドレス代わりのあの、レオタードの上に娘役が身に着けているスカートも、レースやフリルを追加したりといったちょっとした工夫をしたりすると知って、「え、なんでそんなことを…」と理解できなかったが、そういうところも徹底するのが某組の娘役修業の一環らしいとか、汗だくで朝から晩までダンスや芝居の稽古するのになんでみんなジャージじゃないんだろう、とか思ったけれども、それまた立ち居振る舞いが変わってくるからだとか、とにかく本当に細かいところまでみんなやっているのね。
身に着けるもの、今日の髪型の具合やメイクの具合、一つジュエリーをつけているかいないか、それだけで気持ちも姿勢も変わることがある。
だから、日ごろから徹底する、稽古場から作っていくこと、カタチから入ることはたぶんものすごく効果的なのだろう。これもまた演出なのだと思う。

本物そっくり のラインが面白い

思えば、男役も本物の男だったら興ざめというかたぶん好きにはならないだろうなって思うわけで…
お芝居の醍醐味のひとつは、「っぽさ」なんじゃないかなあって。

たとえばもし我々人類が、胸部や腹部にナイフを刺しても死なない身体だとする。血もでない。怪我をしたり刺されると危ないのは首から上のみ!という生き物だったとする。でも胸部や腹部を刺す行為は暴力行為として存在し、相手への攻撃を示す行為だとする。顔を殴るのと同列で。
そしたら、お芝居で、ロミジュリのティボルト死亡シーンのような場面において、もみ合い、実際に刺すようになるのだろうか(トドメをさす表現は別になるんだろうが)。

キスはディープなものが本物のキスであって、唇を触れ合うのはそうではない などとは私は思っていない。充分に親しすぎる間柄でのみの行為だ。
どこの舞台でも実際に殴ったり蹴ったりはしない、でもキスだけは…なんでそんなにするんだろう。

させたいから、みたいから、という下心、なだけなんじゃない?って思う…。


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