月組、全日程無事完走、本当におめでとうございます。
千秋楽は配信で鑑賞。
月城版の健司がどうもヤベエ奴と思っていたけれども、最終的に健司は、それまでに感じていた印象よりもずっと優しくて弱い普通の男になっていて、月城かなと、あらためていいなすごいなと感じましたよ。彼だけではなく海乃美月の美雪も、病院での最後のシーンなどたまらなかったですねぇ……。
その数日前、トンデモ客を眺める
千秋楽の何日か前に、劇場で熱心に他のお客に話しかける女性をみかけた。注意アナウンスをしている係員が近づくと不自然に下を向き、手元のパンフやらをキョロキョロ(この挙動不審が視界に入り、存在に気が付いた)。
近くの席の女性が見かねて注意していたようだけれども、また下を向き聞こえないふり。一方的に話しかけられていた女性の方が、注意してきたお客のほうに謝罪している様子でも話しかけていた方は謝罪せず、周囲もなんか変なのがいるぞとちょっとそちらに注目が集まっていた。
連れの友人同士というより、顔見知りのファン同士なのかな、という感じで座席も違った様子だけれども、この話しかけていた方の女性がどうかしていて、自分の座席に戻ったあと(それが私の席の前方の方だった)、隣の連れに身振り手振りを加えてまた会話。懲りてない様子にうわ、引くわ、と思った。
怖かったのはこの女性席に戻ってきたあと「変なのに絡まれた」的な発言をしてたこと。それが聴こえたほかの客が「いやあなたが、会話禁止なのに大声で話してるからですよ!」とさらに注意していた。それでもすみませんの一言もなく目をそらすだけけ。
おとなしい外見のオタク女子って感じだったけれど、態度はおとなしいなんてもんじゃない、無言の抵抗というか、自分が注意された事実をなかったことのようにしている振る舞いにちょっと恐怖を感じた。
我々は連れがいるときに、心地よい会話のキャッチボールを持続しようとするスイッチが入る。連れ同士で寡黙なのは結婚ウン十年の寡黙な夫と返事はハイのみの妻という組み合わせくらいじゃなかろうか(偏見)。
楽しいところにやってきて、トイレは?くらいの一言からつい、話が弾んでしまうことはみんなやっているし、それで思わず注意を受けてしまったら恥ずかしくなって気を付けるし、席が隣の連れならスマホ使って筆談を試みるだろう。
アイドル的なものが好きなミーハーなファンは好きスイッチが入っている間のモラルが急に低下するってのも私の偏見のひとつなんだけれども……、劇場全体で会話がゼロではない現状、連れがいる人はなんだかんだ会話しているわけで、係員の再三の注意を無視しているという点では、このトンデモ客とそれ以外のざわざわ客はみんな同じだろう。
そんな、自覚有り無しいずれの場合であっても、劇場で注意を無視して同行者とキャッキャ会話する一方で、こんな時代に無事完走できてよかった涙とかTwitterに書き込んでいるんだとしたら、なかなかどうかしている。
劇場にはいつも一人で行く身なので会話しようにも相手がないが、周囲に迷惑をかけない行動というのはいつでも心がけようと思った。というか本当に怖かった……。
アカデミーのアレ
助演男優賞を受賞したのはトロイ・コッツァー。「コーダ あいのうた」にてろう者の役をろう者の役者が演じ、それが評価されての受賞とのこと。
両親ときょうだいみんな聴覚障碍者で、主人公の少女のみ健常者。そのお父さん役だったかな。手話で下ネタなんかもでてくるそうで、普通の会話なんだからそういったお上品ではない手話も当然ながらある。日本がまだまだ蓋をしている部分だ。
この受賞スピーチを生放送でみていたが「ろう者の役をろう者が演じること」について触れていた。ろう者の役者がいるのだから、健常者がろう者を演じるのではなく、ろう者の役者に正当な機会を、ということもあるのだろな。
このスピーチを観て、それからろう者とろうあ者の違いについてさらりと知った。ろう者の「ろう」は聴覚に異状があること。ろうあ者というときの「あ」は発声に異状があること。聴覚に問題がある場合発声の問題とセットな場合があるのでろうあ者というが、必ずしもイコールじゃないからいまはろう者とろうあ者とは区別されるんだそうで、アカデミーの授賞式でそんなことをついでに学んだ。なるほど…。
タカラヅカは特殊なショーの世界であるためにこうした「機会均等」の場ではない。絶対に男性は入れないし受験時にも年齢制限がある。たとえ心は女だと訴えても入れない(未成年の性転換はできないし)。
若く美しく努力するものだけで構成された芸能集団なのだ。しかしこれがいつまで維持されるのか、いつか存在が許されぬ波がくるのだろうかと、少し考える機会にもなった。