隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

エルピディイオを観た感想(2)君は薔薇より美しい

観劇の感想を書こうと記憶を呼び起こすと、私にはフィナーレの白い美しすぎるお衣装に身を包んだ鳳月 杏しか浮かんでこない。
けしからん。

あの表情が出る

ちなつさんは主にフィナーレ群舞などでイケない顔をするが、今回のように真ん中でクールに踊る場合のみ大変いけない表情をなさる。
あの表情で見つめられたら焦土と化すので劇場は焦土だった。フィナーレ。だから静かだったんだと思う(みんなオペラをあげていただけ)。

咽喉から悲鳴が出てしまうほど美しかった。お衣装は誰?加藤真美先生?でしょうね最高ォォォ
いやあ
過去に観てきた全部を、全部を並べても最高だったかもしれない…。あれちなつさんに着せてあんな扇持たせて躍らせたの誰?!謝珠栄先生?
最高ォォォ!!!

私、どうせ大して見返さないからDVDブルーレイとかあんまり買わないんだけどエルピディイオは買うから早く出して。まだ?まだなの。
フィナーレを目に焼き付けるためだけに買いたいしていうかあのお衣装のプロマイドないの?ないの??
劇場にはなかったと思うんだけど…

…ないの???


ないの???


あのフィナーレを観るためだけでも価値ある作品よ。で、実際は他にも価値があるからもう最高かよ。出島もそうだったらよかったのにね

謝 珠栄 が作るとこうなるのか

今回、私はKAATで観劇した。そして序盤から、ああなんと臨場感のあることか。これは演出だろうか?と思ったが劇場サイズが主因であることにしばらくして気が付く。
役者が上手から下手から出入りする際の足音や、暗転し場面転換する際に夜光塗料で光るバリやらは、大劇場では一切ないものなのよね。これが、タカラヅカの東西大劇場とは異なる臨場感を客席に伝えてくれた。
私は2階席のほぼ最前列(記憶が飛んでいるのと非常に視界がクリアだったので、何列目か思い出せないほど見やすかった)で観ていたけれども、それでも舞台からの距離が近い!
ていうか宝塚の劇場はやっぱり遠いんだなあ。あとやっぱりでっかいんだな……。別箱で宝塚を観るたびにこの感想を抱いている気がする…。

ショー作品や大掛かりな舞台装置、大階段などやっぱり宝塚は専用劇場で観るのが一番だとはおもうが、こうして劇場の箱サイズにぴったりのお芝居を観ると、ああ別箱で臨場感たっぷりの芝居とジェンヌを鑑賞する機会は大いに価値あるものだと思いなおす。今見たものが一番いいってその都度思えるって幸せ。

そんな移り気な観客の心もよくわかっていらっしゃるだろう、謝 珠栄先生は、この芝居をつくるにあたって劇場空間のサイズ感も充分に意識されたのだろうと思った。そうしたしっくり感・ぴったり感を感じた。
そして序盤から暗い照明のなか、たびたびターバンのようにスカーフを巻いたダンサーが踊ってみせるのが、やけに効いていた。その表現を言語化する能力は私にはないけれども、無駄でもなければ邪魔でもなくて、ひどくしっくりきた。
あと、最初に出てきたこれらダンサーにおだちんを空目してしまったがあれは誰だったんだろう。るおりあかなあ?

ロレンシオのパトリシアへの想いが閾値を超えて、男として彼女に触れキスをするシーン、控えめなラブシーンながらちなつさんは役柄にぴったりの加減の情熱をみせ、すごく素敵なシーンになっていた。謝先生、どこまでも品が良い。
あと女性というものの描かれ方が他の先生よりずっとずっと、品がよいというのかみんないい子のように感じた。

この芝居で目立つ女性の役は、
職業婦人マグダレーナ(白雪さち花)
酒場の娘ベニータ(きよら羽龍)
その友人エステル(蘭世 惠翔)
踊り子カルメン(妃純 凛)
貴族の出の既婚者パトリシア(彩みちる)
あたりか。

どの女もそれぞれ生きているが、難しいこともちゃんと考えてたり全く考えていなかったりもするが、善なる人々ばかりである。これは男役たちも同様。
生きづらさを感じてレジスタンスになる者たちも含めて、まじめゆえ。月組芝居だから余計にそう見えたのかな?

各キャラクタたちの善なる存在感と人の動きの美しさ、振り付けの美しさなど、全体的に、とにかく、謝 珠栄先生にしかできないものがあったのは間違いない。
正直、これまで大劇場で上演されるいわゆる本公演に関して、ファンが愛情を込めて愛称で呼ぶ様々な演出家の作品についてはそこまで個性を感じたことがなかった
(作者の手による違いは感じるが、○○らしい~てのは、はっきりいってそこまで意識させられたことがない)。
謝 珠栄の組み立て方法は他の演出家とは違い、ハッキリとした個性となっていることを今回強く意識させられ、本公演でよく名前を聞く演出家たちにこの芝居も振り付けも作れないよなっていう謝 珠栄先生ならではのものを感じたのだ。それは他の作者のものとはまた全く別の色合いで、今作、とても、ぼーっと観るだけの消費者である私のような観劇者への格別な思いやり・配慮があったように思う。なおこの「違い」は当然ながら優劣を示すものではない。

実はあまりついていけてなかったところが。

冒頭から始まるスペインの事情に関して自分は全く明るくないので、正直いって台詞で説明されている事柄はよくわからなかった。その台詞を追いかける余裕もなかった。
ポンポン会話が進んで楽しげな群衆芝居がテンポよく進むからである。でもそこでやり取りされていることってものすごい大事なことなのね。それはわかった。
さりげなく出てくるスペイン地方料理の自慢大会もたぶん、スゴイ大事なメッセージあるんだろうな。てかスペインの国内事情は非常に非常にやっかいであったような。

スペイン史がカンタンにまとめられたサイトを見てみても、紀元前からすでに色々あり過ぎて、何度も民族が入れ替わるほどのややこしいことの連続で、現代の民主主義国家がはじまったのがわずか40数年前から、といえば、どれだけ波乱万丈な国かわかるというもの。
エルピディイオたちの人生があったのは、軍事政権があり、そして人々の生活は戦前であり戦後であるような時代だった、ということかな。

あらためてロレンシオ(鳳月 杏)

さてこの先、果たして鳳月 杏主演の舞台を観る機会がどれだけあるのか、皆目見当がつかない。

彼女がトップになるのかならないのかもわからない。目下、歌劇団は特定の期が重要な番手に集中しているがゆえに、色々困った問題も目に見えつつあるような(私はこの特定の期集中は誰も得しないと思っている派)……。

そんな中で、上級生である鳳月 杏が一介の観客である私に与えているインパクトはとても大きい。
いっくら主演がよかろうがヒロインがよかろうが、鳳月 杏が舞台にいるのといないのとでは、面白さや舞台密度が違ってくる。それほど大きい存在に感じている。
そんな彼女の主演。ひょっとしたら最後かもしれない主演…そんなのもったいない…!
大変に心身を充たしてくれる観劇だった。ああ、何度でもいうがあのフィナーレの美しさよ。そこに至る緻密な舞台よ。

宙組の真風涼帆は立っているだけで凄い。どの期にもどの優れたトップでも、彼女のようなギラギラスター性があるわけではない。それと同じように、鳳月 杏も、存在が華やかな、稀有なタカラジェンヌであると思う。
一日も長く、この人のタカラヅカ舞台を観ていたい。





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