仕事で組んでいる会社の人の娘さんが、タカラヅカ受験をしたときのことを思い出す。
春の、桜満開の、この受験に関するニュースが飛び交う時期になると。
いつから目指したのか
娘さんは中学生の頃、たんなる「好き」「好奇心」から「タカラジェンヌに、なりたい」まで気持ちを持っていくのに数年間かかったらしい。
本人が初めてそのことを母親に告げたのは中学生から高校生になるとき。
受験はタイムリミットがある。本人にとっても心を決めるには若くそして時間がないから、あらゆる意味での親御さんのバックアップが本当に重要なのだろう。
お父さんは知らなかった
娘さんはお母さんにたびたび相談して、
「お受験は一回だけのつもりで、そこでの感触と結果でその先を考える」
「準備不足なら受験しない」
「不合格のことを大事に考えて、宝塚以外の進路をきちんと準備する」
てことで、初めての受験を高校二年生のときに絞ったそうな。
で、この計画はお父さんはきかされてなかった。「うちのお父さんはきっと反対なんかしない」とお母さんと娘さんが考えていたらしいけど、お父さんはだいぶ寂しかったらしい。
母と娘の計画は「もし音校に合格したら宝塚市内の、歌劇団近くに引越す」まで段取りを組んでいた。
もし本当に受かっていたらお父さんだけ、仕事の都合で都内に残されることになっていた。そこまで母娘で決められて、そりゃお父さん、さみしがるわ。
娘さんの覚悟
娘さんには憧れのタカラジェンヌさんがいたそうな。その人のようになりたい、という思いがあったと。
写真でみる娘さんはとても美人で、タカラジェンヌを目指すにふさわしい、素敵な子だった。
彼女が偉かったのは、宝塚に入れなかった時は◯◯になる、という計画も周到で、とてもハイレベルな大学への受験も並行していたこと!
タカラジェンヌになりたいという夢も本気だったのに。
お金のこと
一年でお受験のためのレッスン代にかかったお金の総額は、500万以上1000万以下ってところだったそう。
お受験スクールもだが、習い事の世界にあるお月謝以外のお礼金の風習などもあるそうで…
スクールの費用はあとから色々想定以上にかかったらしい。
なおこの、娘さんの親である会社の人(お父さんの方)というのは会社の役員で港区在住。
娘さんは中学生からかな?私立のいいとこの学校に通っていた。宝塚受験するには私立の中高エスカレータで上がれるようなところじゃないと厳しいらしい(公立受験の余裕がないし年数百万というレッスンに通うだけの時間の融通がない)。
都内のいいところは、たくさんスタジオやお受験スクールがあり、地方からの受験より交通費や夏期講習などの滞在費がかからない分、金銭面でも節約できるという。
とはいえ…、やっぱりお受験はお金持ちに許されることなのよね。
いまの娘さん
単なる学校進学じゃない、10代少女の就職の話になるわけだから、親戚だって口を出してくるという。
だからこそいざ受験に進路を決めてからは、応援してくれる家族のために、という思いも本物だったそうな。
彼女はタカラジェンヌにはなれなかった。
けれども、準備していた大学受験では素晴らしいところに進学しその後留学もして、びっくりするほどの才女に育って、コロナもあったし身内はやっぱり「不合格だったことで逆にあなたの未来は広がったね」と言われるほど、輝かしい学歴を身につけた。
あの舞台に立つことはなくても、彼女のいまの人生にはタカラヅカ受験の経験がものすごく大きく、良い方向へ影響したという話。
しみじみ、そこまで努力できるような子が目指す夢の舞台なんだなぁ、と。