隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

星のお姫様、ニューヨークかどっかにきっといく

期末というか月末月初であり年末であり。多忙である。
長く生きてきてやっと一日のルーティーンが定まったような感覚があり(やっと……)、一日24時間っていうものの長さや、一週間の速度がやっとわかったというか、理解できるようになったような気がする。40年以上生きてきてやっとわかったというか…
まあとにかく寝て起きてを何回かやっているとあっという間に週末であっという間に12月だった。

いまだにイマイチ信じられない星組千秋楽

チケット難で生で観られなかったこともあり、なんとなく実感がわかなかった星組大千秋楽。大劇場千秋楽よりも、お芝居は観やすくなっていた。
インパクトが大きいが、話としては下世話だし私は三谷作品があまり好きじゃない(かつては好きだったが苦手になっていったパターン)ので、うーんだったが、
タカラヅカによってまあなんとか大衆娯楽として成立しましたねぇ。大劇場千秋楽よりも、本当の最後であったこの大千秋楽は、全体的に元気だったというか、特別な活力がみなぎっていたようにも思う。

かわいいは正義

美しさも正義。やっぱり格別の才能なんだわ外見の美しさは。電車で隣の席の人がすごい臭かったり汚らしかったらいやだし、スゴイおきれいでもなんかヤバそうなら近づかないし、本能的に好悪や危険か安全かを判断するのって結局見た目だし。

昔、故中村勘三郎さんと当代市川團十郎が、まだまだ新之助時代だったか、海老蔵は襲名していたかという若いころに雑誌の対談だったか、書籍のインタビューだったかで「心のきれいな人と見た目のきれいな人、どっちを選ぶか?」ていう問いに「見た目のきれいな人にいくよね笑」とこたえていて
「だって心って(どんなにきれいごとを言ったところで)見えないでしょう。(中略)見た目がきれいで心がきれいな人を選びたい」という、お題に対する正直かつ人が求めるものの本質を突いたような率直な回答をしていた。

いろんな意見はあるものの、シンプルに、ちゃんとすべき時にちゃんとする人を私自身も信用する人間なので、みための美しさが才能として生かされる舞台芸能において、その才能を生かし研鑽を積んで、キラキラしたところを見せてくれる人を、見たい。

というわけで、

私の目にはどの角度もかわいすぎるようにしか見えない舞空瞳は、卒業までの間に、ただ外見だけの子じゃなくて、ほんとになんか、色んなことを鍛えていったアスリートみたいにみえて、だからこそ心から叶わない、追いつきたい、追いかけようって思える先輩と組めてよかったねぇと思う。

大千秋楽のサヨナラショーを観てもやっぱり、これが添い遂げだったら、さよならショーも、演目そのものの演出だってトップスター仕様になってしまって、相手役のトップ娘役が一歩引かざるを得ないわけで、こうして単独にしたのはいろんな思いを込めた餞別だったのかなぁとも思う。礼真琴の退団も決まってるし、1作前に卒業でめいっぱいヒロインにしよう…っていう。見ごたえあってとっても良かった。

あとやっぱり彼女が学年をあがってもなんでも、根本的に体育会系というか、星組風土がそうらしいがそういう、タテヨコ社会のわかりやすい構図において彼女が確実に努力して結果を出したことが誰の目にも明らかになったということが、この大団円につながっているような気がする。組織って、上下横の仕切りがあった方が案外、ストレスがないもので、もしかしたら昔から星組は体育会系だよ、星組の娘役は厳しいよなんて言う噂も(実はこれってどの組でも言われるような気も…)、そういう組織づくりゆえなのかな、とか妄想。

組織って、変にフラットとかお友達仲良しクラブだと、かえってゆがんだりため込んだりするものだと思うし、今回の退団者のご挨拶が、舞空瞳以外、他組の卒業生と比べてもシンプル短めになっていたのも、なんかそういうことにしてるんじゃないのかな、なんてちょっと感じた。

ショー、好き

芝居の方はまあ、安定して観られた以上の内容に関する感想はあんまりない。みんなうまいな、くらいか。
ショーは、これやっぱり私は好き。あと何度見てもありちゃんのタンゴ場面について、見入ってしまう。なんと指先まで色っぽく踊られるようになったかと。
映えるし。

年内最後

最後のごあいさつで、星組の2024年がこれで幕を閉じるというのにちょっとさみしくなる。
ほんとにねぇ…
年間公演数調整するなら、毎年、どの組も11月に千秋楽→12月末にタカスペ→新年から本公演再開 みたいにできたらいいのにね。








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