隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

どんな人をタカラジェンヌと呼びキャッキャしたいか問題

つらつら考えていたら、結局のところ私の中の欲望は、単なる「選ばれし者」だけを尊びたいわけではないことに気づく。
改革ニュースにつられて、自分の中の欲求を整理したらなんかちょっと気持ち悪いのぞき見欲がやっぱりあるなあと思ったけれど、書き残しておく。
楽しいヅカ感想とかではないので、そういうのが読みたい方はブラウザバックをおすすめする。

特別であってほしい

タカラジェンヌの場合、必ずしも実家の太さは選考理由ではないものの、恵まれた環境に育った子ほど早い段階で充実した教育や訓練を受ける機会に恵まれやすいので(略
要するに、英才教育されたいいところのお嬢さま もしくは 受験数か月前にちょっとアレしてみたらあらら才能爆発のお嬢さま みたいな人のなかの
選ばれし人で構成され続けてほしい

という希望。 ある。私はお嬢様が観たいのだ。

常に特別であってほしい

お金持ちの美少女が、おばあ様あたりからの影響で宝塚歌劇に出会い、もともと幼少期からバレエとピアノとあと何かはやってたから、受験目指して努力したら合格できました
ていうのはもうテンプレ的なお約束的なあるあるだけれども、こういう層がこの先も安心してタカラジェンヌになって欲しいって願っている。

当然ながら庶民育ちのジェンヌさんだって歴代現役問わずたくさんいる。でも組織全体としてお嬢様たち集団といえる状態が100年以上続いてきたわけで。

親戚の子にとても優秀な子がいて、推薦かなんかで日本女子大付属高校にいったんだけれども、親戚の家は超・庶民。イメージで言うと寅さんの団子屋みたいな。
日本女子大付属高はレビュークラブ(通称ヅカ部)があるのよね。おばあちゃんたちが文化祭を観に行って大絶賛だった。

庶民であった親戚の子は3歳からピアノをやっていて、親戚の一家では唯一だった(上の子は水泳やサッカーやってたっけな)。
ポン女(じょ)に通う子女たちに交じった親戚の子は、クラスメイトほぼ全員「ピアノは当たり前、ピアノとバイオリンとかフルートとか、楽器は大体2種習得している」という世界に飛び込んで日々カルチャーショックだったという。

そういう育ちばかりの子の集団で構成された学校にヅカ部があるっておもろいね。
ミュージカルクラブは別にあるのよ。で、レビュークラブも存在しているってどんだけの情熱なんだろう。それが日本有数のお嬢様学校にある。

そういう世界がずっと守られてほしいし続いてほしいって私は思っている。

特別の中に自分がいなくても

やっかむなよ、と。

特に胡散臭い団体がもっともらしいことをいって、全部潰してくるような動きに巻き込まれず、存続してほしいことがたくさんある。

「みんな同じで自分だけ特別ならいいけど、自分以外の誰かが特別扱いが許せない」ってのが、日本人の個性のひとつだと思う。

あえて「日本人の」と書いたのは、このところ世界の中の日本として「礼儀正しい」とか「町が美しい」とか「ちゃんと並ぶ」とか色々美点として語られている状態を、
ちょっと違う角度から考えてみたら、それらをネガティブに

「自分が配慮されたいから自分を含め全員が挨拶をし礼をする」
「うちのナワバリを守りたいから全体に均一なルールを設ける」
「自分以外が得をするのが絶対に許せないからみんな並ぶ」

と言い換えられることでもあるな、と気が付いてしまって。礼儀正しい、ちゃんと順番を守る国民性のわりに、先日の劇場で遭遇したもめごともそうだけど、結構、
我々は他人の行動をやっかむというか、なんか同じでないことを嫌いすぎる。ただし自分が特別扱いされることはOKってのが国民性として、これまで以上に濃くなってるのかな、なっていたらいやだなあと思う。

書き出してみて、私はやっぱりタカラヅカが好きな理由のひとつに、特殊で特別な世界を覗き見たいって欲求があることは自覚していたものの、同時にこうした、特権階級の世界が維持され続けてほしいと思っていることも自覚した。たとえ自分がそちら側にいなくても、である。

で世の中の多く、若い世代ほど多くは、自分が特権階級にいられないのなら、そんなのずるいから壊したいって考えの方が主流なのかなあと。
フランス革命で、平等をうたい特権階級から特権を取り上げたやつって、のちにみんなギロチン送りでしたっけねぇ。現代ではどうなるんでしょ。










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