隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

「元」は活用し尽くしていい

「元宝塚」の活用について、いちいち、ファンが物言いしたくなる気持ちは大いに理解できる。私もその一人だから。とはいえそれは身勝手な感情だと自覚してなくてはならぬ、と思っている。

珍妙な現象かごく普通のファン心理か

昔から、あきらかな性消費目的ジャンルでの「元」の使用に対して、歌劇団は厳しく阻止してきた。
でもさらに大昔の、ストリップじゃないもののそれに近い演出というか舞台でかなり布の少ない姿で踊る世界に移っていった「元」については認めるというか応援していた事例もある。

その線引きは何となく理解できるものの、実に都合の良い線引きとも思える。
なんであれ、どんな長さであれ、キャリアを積んだ女が生きて働いていくのに、己のそれまでの経歴を活用することに、外野はどこまで意見していいのだろうか。
SNSで拡散されやすい現代において。

トップだろうが厳しいものは厳しい

卒業後に本人の望みに近い形で仕事をしていくことは、たとえ元トップスターでも難しいことは誰もが知っている。SNSのあるいまは特に、それを肌感で感じる。
そして、仕事の取捨選択ができるくらいに売れるには、やっぱり、テレビ芸能界に強い事務所に所属する必要があるらしいことも、明らか。
テレビ芸能界で世間に顔と名前が売れてこそ、大きな舞台に立つことができる。

唯一、阪急のグループである東宝というでっかいところが帝国劇場を運営しているからこそ、OGのなかで選ばれしものたちが、帝国劇場に、東宝エリザに、スッと選ばれている。
かの花總まりが2006年に退団後、一度表舞台から足を洗ったものの女優として本格復帰したのが2010年らしいが、このブランクを屁でもないように「いい仕事」を次々とこなしていったのはまさに彼女が選ばれしものだったからこそで、なんで選ばれる人かっていうと、そのキャリア…彼女の「元宝塚」カードが最強クラスの「元宝塚」だったからこそ。
まあお花様は超特別って感じだけどそもそも、退団のいきさつ、退団からのキャリア、女優復帰の流れで、その特別扱いはぶった切れてもよかったのに、今なお女帝感があるのが「あたりまえ」に思えるのもちょっとすごい。そしていまの舞台姿を見てもやっぱり特別で当たり前に思えるのもスゴイ。
しかしこんな例は特例であって、毎年生まれる40名あまりの卒業生のうちエンタメ界で引き続き仕事がしたい子たちにとってはあまり参考にならないんじゃないかと思う。あこがれはしても。

だからこそ、トップ娘役経験者以外で研7までの間に退団した若い子が、若さゆえに選ばれやすいテレビ芸能界に強い事務所に入ることができて、グラビアやバラエティに出ることができて、そこで多少アク強め(=いい子上品な子以外のキャラ)を出していく「元宝塚」がいたら、それは、そういう子こそ、売れていかねばならない子ではなかろうかと思う。そういう子が売れることができたら後に続く子が出てきやすいだろうし、タカラヅカに進むことがより大きな未来への足掛かりになる方が、才能ある子が集まりやすかろう、と思う。

もう花嫁修業なんてないんだもの…

10代の美しく才能ある子を集めたいという究極の選民団体でそれゆえに特別な魅力ある歌劇団が、これまでそして今日からも、若い彼女たちの愛と尊敬をただ一心にタカラヅカのみに捧げよ、というのはいささか、いくらなんでも、酷だと思う。大学進学したら専攻学部を活かした就職しかしてはならぬくらいの、結構な厳しさよ。
タカラヅカは10年くらいしかいられないんだから、在団経験を足掛かりに月9で主演を張る女優になりたい、CM女王になりたい、グラビアクイーンになりたい、アイドルになりたい…いいことよ。

ファンが元ジェンヌのセカンドキャリアを応援したいという割に、若くして辞めた子をどこか根性なしのように一段低くみて、そういう子が今どきのSNS活用などでタカラヅカをネタにすれば苦言を呈す てのをみかけると、

「選ばれし者しか入団できない世界なんだから平身低頭でありがたいと思い、できるだけ長く務めあげ青春と若さと人生をすべて舞台とファンに捧げよ。推定30歳ぐらいのお年頃前後で順々と辞めることは問題ないがひたすら遠慮して辞めよ、辞めた後もつつましく感謝せよ」

…ファンの反応をまとめると、こういうことなのかなと。キッツイ。

卒業後、同じ阪急の息がかかった東宝をメインに出演する女優は、元トップたちでひしめいている。なら、元トップ以外の「元」の活躍の場はもっともっと広がらねば。
「元ヅカがもっと活躍できれば」といい「元ヅカの肩書を乱用するな」という「狭さ」では、ますますタカラヅカは斜陽になるんでは、と思う。

若手活躍の成功例があればあるほど、後に続く「元」たちの裾野は広がる。
そうした例は、ライブネクストとやらの団体ではできないことだと思うから(なぜってコネのある大手テレビ芸能事務所じゃないから)、またあらたに発表となる卒業生たちがもし、セカンドキャリアをエンタメ界で…と思うなら、それがなんであれ先例があるほうが救いになる、と私は思う。

うまくやるには

ただし。
若い卒業生が多少無理してでもフォロワーを集める行為をするときには、やっぱり「スミレコード的なものは大事にしておいて損はない」と思う。

なぜって、物事は敵を作らず円満に進めておく方が、後々、自分にかえってくるものに影響が大きいから。辞めた後文句ばっかいう子は短い間面白がられて、一瞬で消費されてしまうだけだし。
うまくやり、自分のコネやカードを増やし生き続けねば。毎年新たな才能がたくさん卒業するのだから。



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マカゼイズムを配信で観た、んだけどほぼ潤花

結構、直前まで迷いつつも観られない後悔よりはと思い視聴を買った。
この手の公演はつい、流し見してしまいがちなのでちゃんと観られないならパスした方がと思ったのだけれども、結果的に観られてよかった。

光り輝いていた場面

真風涼帆の過去主演作をメドレー形式でみせるところで、その演目の主演姿に扮して組子が登場するシーンは震えた、感動で。あれは最高にイケてる演出だと思う。
みんなどちゃくそイケてた!!!
そしてその最後の最後に、シャーロックホームズの扮装で出てきた組子が潤花だったのが最高にエモいってやつだった。こういうやつだよ、組子がみんなでトップを送り出す記念的ショーってのはこういうやつだよ。

潤花の本当の能力

フリートークコーナーを、長く3番手を守る桜木みなとをも受けに回らせてトップ娘役があそこまで仕切るのにはあっぱれ。

ところでトップに限らず、たとえ組長であっても、長い観劇歴で客前で娘役がああも仕切るのは初めて観たかもしれない。スカステ番組でも観たことないような…いやたぶんはじめて。
ぐだぐだにもならず限られた時間で、少しでも間ができそうものなら笑いで埋めて、まさに大健闘。
マカゼが「感想がコレ(潤花とそのコーナー)だけにならないといいな」というような発言してたけれどもSNSの反応は圧倒的潤花だった。

例の週刊誌問題の時も思ったけれども、私ががっかりさせられたのは

歌劇団が法的措置を匂わせることなく当たり障りのないポーズだけと言えばそれだけの抗議文で片付けた(ので、内容にある一定の事実があると感じさせられた)
・直接の釈明を当事者である公演中のトップコンビに任せた(歌劇団のエライ人が怒っていいはずでは?)

という点。ガッカリの矛先は歌劇団に対してなんだけれども、一連の騒動の渦中においてファンから「救い」とみなされたのは、やはり潤花の存在ではなかったかしら。

このライブ配信を観ていてつくづく、潤花が優れているのは性格ではなくてその社会性であると感じる。
笑いが大きく(かしましく)明るいトップ娘役のここ最近の変遷といえば、妃海風、真彩希帆そして潤花、とくると思うが、潤花だけが表に出して体現しているその「キャラ」と呼ばれるものは、単なるお慕い芸ではなく自分を下げて笑いを取るお笑い芸人のヨイショ的な、幇間芸にも通じる。そんなことまでするトップ娘役はなかなかない。

組替え後、宙組メンバーを信用してオープンマインドな姿勢をとる対人行動
協調性を発揮し新しい組に馴染む集団行動能力
宙組とそのファンから好意を受けたい、仲間として認められたいという社会的欲求にこたえるためのセルフコントロール
周囲の状況に常にアンテナを張り巡らせ求められているものにこたえていくという社会的関心

社会性とはなんぞや、という問いに、それはいまの潤花のような振る舞いだといえるんじゃなかろうか。
これを単なる性格やキャラで片づけるには、いささか不憫。

私は何度か、彼女がケタケタ笑うことでなんとか間を埋めて、楽しく盛り上がっている空気を生み出そうとしている場面をスカステでも目撃している。
あれは天然ではない。そこまでしないと、お行儀よく基本的に受け身(上下関係もあるから前に出づらいし)でチョンと座ってる路線男役サマやトップ様(メンバーを引き立てたい気もあるせいか、ナウオン等のトップは、話題を振りつつも会話は意外と受け身である)が、ファンが求めてる表情をみせづらいことを潤花はわかってるんじゃないかな。

で、マカゼイズム

こういうタイトルとこの内容でライブができるのは、長期トップとしてマカゼが達成した成果があってこそだと思った。
全盛期を迎えている95期トップスターたちはみんな特別な才能があり、歴代の中でもハイレベルなバランス型が多く、歌だけとか、顔だけとかいう子が一人もいない素晴らしいトップスター達だけれども、マカゼを観るとああ、これだ、これだよ男役って思うこの感覚は95期組からは(まだ)得られない。
真風涼帆ってのはほんとうに、男役の中の男役にふさわしい、素晴らしい才能なんだなって思う。

このライブ、J-POPの選曲もすごくよくて、変な例のあの感じにひとっつもならなくて。それはひとえに宙組のスターたちの適性や能力にもよるんだろう。
トップコンビ以外で目立っていたのは瑠風 輝。長身で華があり歌声もいい。
娘2の天彩 峰里は、カプリチョーザからじわっと感じていたんだけれども、目立つというより浮いてないか?気のせいだろうか。


なんにせよ、宙組マカゼ時代はめでたしめでたしに向かって最後の直線を進んでいる。無事なフィナーレを見守りたい。


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2022年に使ったタカラヅカ関連費用

スカステをいつ辞めようか、タイミングをはかっている。

スカステって…

ある時期は、ほぼ一日中つけっぱになっていることもあるスカステ。一方でここ数か月はほとんど観ていないなぁ、なんてことも。

この2022年~2023年の年末年始特番、正直それまでの数年よりあんまり楽しめなかった。年始の特番に至ってはいつものご挨拶番組を結局見逃したまま。
元々自分は個別のスターに肩入れして推しとばかりに楽しむタイプではないにしろ、もうちょっと楽しめてもよかったのに。

スカパーでこのチャンネルのみ契約していて、月額2,970円(税込)。
年間35,640円(税込)。

なかなかの贅沢課金。

私が観たいスカステ番組って、新人公演、最新の本公演、バウなど。古い公演は本当に公演やスターさんへの思い入れ次第だし、ここ数年の契約期間で
大体観ることができたしもういいかなと思う。

スカステニュースは最近はほぼノーチェック。卒業生がいる本公演の千秋楽ダイジェストのときに、このスカステ番組用に、公演後、楽屋出る前に、お花をもった卒業生たちの最後のコメント、あれは観る価値が大きいのでアレは観たい。
他には公演の記者会見映像やトップ退団の記者会見映像は、価値があるコンテンツだと思う。

スカステの弱点は本当に、バラエティ系コンテンツの弱さ。なんで強くなりきれないかという一番のネックは、彼らとてタカラジェンヌを思うように番組に起用できないためだと思われる。公演がない組はお稽古してるし。
前々から、常にひと組分のジェンヌには公演も稽古もない月があって、そこで、広報活動(メディア出演)をやるとか凝ったスカステ番組作成とかできれば、よくない?て思うんだけど、そう都合よく調子いい話にはいかないんでしょうね。現場の意見が第一だろうし。

年末年始特番で一番みたかったのは「タカスぺだってないんだし、組別じゃなくて組合同のわちゃわちゃバラエティ」だった。
しかしそれは叶わなかった。
各組ともに感染対策の行動制限があるんだろうが、あからさまに他の組の生徒との接触も「外部との接触」扱いしていてね。君ら、お互い公演のために同じ基準で感染対策をしている仲間なら、混ざってもよくない?って突っ込むのは…野暮なんでしょうね。

観劇費用

2022年の生観劇は、友の会の当選が、8公演合計75,100円。1回SS席があった。
ちけっとぴあで2回当選、うち1回の花組巡礼の年が中止となった。1回は月組でA席5,500円。
イープラスで1回当選、宙組ハイローで9,500円。

ライブ配信が、私は楽天TV派で、2022年は17本視聴。そんなに観てた…? 3,500円×17回=59,500円

観劇費用、合計:149,600円

スカステ費用と含めれば、年間185,240円。

月にならして15,000円ほど、趣味に費やしています、ってことになる。観劇しにいけばついでにお買い物したり、劇場で何か購入したり、前後にちょっと美味しいもの食べたりなんかするから実際のところ「ヅカ観に行く」という行為にかかっているお金は、この1.25~1.5倍ほどかもしれない。

2022年、すっかりパンフレットやキャトルレーヴでの買い物もしなくなった。パンフは時々ほしくなるが、あとで困るのでやめた。
グッズや写真は、月組のトップ交代のあたりでなんとなくもうやめてしまった。写真はちょっとキリがないのでね…買うと楽しいんだけども。
そしてもともと歌劇やグラフは買わない。たま~~にしか買わない。私にとってはそんなに興味がひかれないもので。特定の贔屓がいないとこんなものではなかろうか。

2023年は

本命の応天の門の東京公演のチケットが複数欲しいんだけれども、友会だのみなので、1枚手に入ればラッキィ…なんだろうなと。
コロナ禍であることから、ムラ遠征も控えている。※しかしここ数日急にチケトレに出てきはじめたのなんだろ、月組ムラ公演。

新年早々観に行く予定であった星組公演、2022年はチケ縁がなく観劇がかなわなかったが、今年の年明けはチケットが巡ってきたのに、公演中止で流れてしまった。
非常に残念。
次、春の花組チケットはいい席が取れているので無事に観たいが、花組は他組より中止が多いので、半分諦めている。

今週末のマカゼイズムは、ライブ配信を購入する気があったが、報道の件でちょっと、タカラヅカ全体について考える機会となり、うーんどうしよっかなとまだ悩み中。
ゴシップを信じる信じないではなく、劇団の対応が非常にろくでもないと感じるので、やっぱり企業としてあんまり好きになれなくなっている。
そんなこと関係なく応援したいから!
という気持ちは、私の中には薄い。

私の中のヅカ愛はやっぱり、宝塚歌劇に、楽しい、他にない特別な観劇体験に価値を見出していて、団体及び個のジェンヌにお金を払って支援したいというタニマチ的な、後援会的な愛は、ないらしい てことを、いまあらためて感じている。








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ルイマキセによるルイマキセのためのルイマキセ

涙と感動の退団翌日に即稼働する元ジェンヌは意外と増えてきたと思うけれども、稼働即フルスロットルでSNS上の話題をさらいファンの寂しさをここまで清々しく吹っ飛ばしたのは、
ルイマキセくらいのものではなかろうか。
そのダッシュ感はさすがルイマキセ。

鉄は熱いうちに打て

実際のところ、本人は何ひとつ変わっていない同じ人なのに在団中と退団後ではまあ本当に「なにか」ががらりとかわる(ように見える)。客席にいる自分から見えていた彼女らの何もかもが違って見える。
歌劇団の徹底した情報コントロールの賜物でありその意識が浸透しているジェンヌたちの日ごろのふるまいがいかに「タカラジェンヌでございます」であったかという証だなと思う。

彼女たちがみな、嫌なファンやクソな先輩や怖い先生やら みたいなネガティブ感情を、生身の人間として当たり前に微笑みの下に隠していることを
本気でわかってない人もいるかもしれないが、真剣に生きていればこそそういった感情も生まれないわけがないし、仮にそんなネガティブ感情がなかったとしても生身の女であることを感じさせない20代を過ごしてきたんだな  ってことを、退団後、SNSに登場するすべての元ジェンヌたちから感じる。

CSや専門誌のありがたみ

つい先日、何某かの媒体でインタビューを掲載していた望海風斗が、コロナ禍で、露出のあるトップや上級生、路線はともかくそうでない組子が世の中と分断されかなり辛そうであった様子をチラリと語っていて、SNSで愚痴ることもできないしいいねを貰うわけにもいかないし、感染しちゃいけないから宝塚の町で外出もかなり我慢を強いられているだろう。そりゃ、あんな基本的に人前に出たい陽キャしかいない人の集まりなんだから、家でぬくぬく寝てたい人が毎日合コン行けって言われるくらいしんどかったろうと思う。

で、OGになったら解放されるかと思いきや、SNSは難しい。

方針さまざま

本人が本人の責任の上で発信している人、事務所運営のもと、マネージャーが管理者となって発信されている人など今後の芸能人生の方向と相まって人それぞれだけれど、なんとなく最初、はにかんだような微笑み感を持ってSNSスタートさせる元ジェンヌがほとんどのなか、いきなり最初から「あれ、いままでもやってた?」て感じでルイマキセだったのはルイマキセだけじゃないか、と思う。

人それぞれだし

フルスロットル☆ルイマキセをSNSで垣間見てしみじみ感じたのはいまの世でこの速度でやらなくちゃどんな人でも霞むよなと。
霞まないのは英国王とか大統領とかじゃない?
タレントが勿体ぶってたら多分あっさり忘れられる。

私は既にこの3、4年ほどの間の卒業生の中で忘れかけている人がいるもの。好きだったのにわからなくなってしまった。

兎にも角にも、
私はこれからもルイマキセ好きだしずっとみていたいよ。
期待以上に露出してくれてありがとうルイマキセ。


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芸術に関する誤解と偏見と

私の10代。現役合格で東京の美大に進学した。
最も絵を描いていたのは受験期までで、進学した美大は、中に入ってみなければ想像もつかない世界だった。
大学で学んだ結果、
「デザインは理数系のアタマがないとできないぞ」とシンプルな事実に気づく。バランス思考とでもいうのか。私の知らない創作の世界は計算の連続の果てにあった。
いまアートとは無関係の仕事をしていても、あの頃の日々となんの矛盾も葛藤もない。
あの時学んだもっとも大事なことは、思考の力であった。

表現に悩むことは重い

美大に入ってみるとみんな自分より絵がうまかった。あくまでデッサンの技術のはなし。しかし私には私だけの強みがあり他人と比較して悲観はしなかったけれども、なんて素敵な絵を描くんだろって子や、オリジナルのキャラ絵が上手い子などはたくさんいて、自分の強みもまたなんてことない井の中の蛙だと思い知る。
しかし、周りの上手い子たちも皆、自分の好きなものだけではカネにならないの。

好きなことを仕事にする前に

大学の先生もだし、生徒・学生である美大生にも、個性的とか変わっているとか、多少の非常識を歓迎する風潮があるにはあった。
もとより無茶をしたい学生時代だもの。うちの大学は学祭が都内イチどうかしてることで当時は有名だったし、近くの別の美大は「あそこに進学すると女子は一度は脱いじゃうんだよね」といわれるところもあった。

いま考えればモノスゴクオカシイ。
でも美大受験は事前の予備校時代も受験も、とても厳しい上に金がかかる。都内にある美大はどこもまあ名門で倍率が音楽学校と同じかそれ以上であったし。
そんな厳しい試練をいざ乗り越えてきてみたら自分以外が輝いてみえる人に囲まれて、憧れる業界人の先生たちが講師として教えにくる。

初めてづくしの日々に自分の輪郭がボヤけて価値観もすぐ他人に左右されてしまう。

先生

あの頃、わたしたちを指導してくれた先生、それが教授だろうが講師だろうが、その方々が自分に向けてくれる指導は全部、金言にきこえた。

先生に対する好き嫌いはある。でも尊敬できる先生が言うことなら黒でもシロになるあの感覚。所詮どんなにませていようが自分は、無垢な10代の子供である。濁るのもあっという間。

彼らの常識は世間の非常識

愛のある指導ならハラスメントではないと捉えられる意見をあちこちでみた。
指導に愛があればOKで、愛がなければアウトなんだって。
愛の有無はなに? 誰か測れるの?
それって愛があれば暴力オーケーだと捉えられるけれども本当か?

愛があろうがなかろうが、人格や見た目の否定はアウトではないの?

そこに込められた感情は関係ない。あらゆる言動そのものに線引きし規制するのがハラスメントという定義では?そしてその線引きをするために必要なのが、関係性の見極め。

たとえば、初めから、5号サイズ以下の痩せ型体型を募集したパリコレモデルの選考において9号体型のモデルにむかって「太り過ぎ」というのは、募集要項と合っていないのだから、セーフかもしれない。たとえ一般的に9号は痩せ型というのが常識であっても、その特殊な場が求めるのは5号以下という特別な才能を探すオーディションであったなら、世間の常識との基準の違いも許容されるかもしれない。

音楽学校もまたそういうある種の特殊な募集に引っかかる人を選別した場であると思う。
ここで容姿端麗の者を集めることや女子だけを募集することは、そこに該当しない者を迫害することではない。

演出家が講師として、無垢な10代に接する。演出家は舞台づくりのプロとして育成されていても、人に物を教え指導するプロではない。

意図を伝えて理解してもらい共有することで、役者を舞台のパーツとして磨き思う通りに配置、動かす演出家。
芸術家感覚の演出家が絶対権力者として、それぞれの考え方でもってときには他の演出家とは真逆の指示をする。
それに絶対にこたえなくてはならない若い役者たち。彼女たちの目には、目の前の演出家は学校の先生でもあった人で、周りにいる子たちは同じ「生徒」。

本の学校教育を体験してきた者なら容易く想像できる。
「生徒」という呼称は若く可愛いジェンヌを守り愛でる呼称でありながら、彼らをいつまでも半人前扱いし教師への服従を促し「右へならえ」「左むけ左」が揃ってできるようにする為の呪いでもある。

関西企業なんて…

私が東京都内の企業の人間として働いてウン十年。
警戒するのは関西企業。彼らは持っている理屈や常識、文化が違う。偏見アリアリでいうなら関西企業はどこもとにかくやり取りがやっかいである。偏見まみれの一言で包むなら超・昭和。ハラスメントを認識できるだけマシよ。
彼らの内に入れば人情まみれ。でも彼らが外と認識するこちら東京の企業に対しては、まあ、カライお客さんの多いこと。BtoBなのに。

生徒と先生

スカステ契約するとますます感じることだが、
舞台挨拶でも何でも、タカラジェンヌ がどうして身内の演出家をいつまでも先生と呼び、客に向かって敬語を使うのか謎で。
よそと違って、宝塚の場合演出家は社員だから身内よね。
タカラジェンヌ が演出家を上に仰ぐのは、文字通り音校時代の先生でもあり、強烈な刷り込みがあるんだと察せられる。

日本一有名だった故人の演出家も、胃薬をラムネのようにポリポリ齧りながら役者に灰皿投げつける指導のエピソードが有名。

「すごい舞台を作る演出家はアバンギャルドでいい」「キツイ指導を受けて舞台を成功させたら認められる」と、演出家という芸術家が振る無茶振りに応えて座布団代わりの拍手や賞賛や次回の良い役やを得る、身を切る大喜利大会が繰り広げられていることに、私はいままで、1万円くらいのチケット代を払って拍手を送っていたのではなかろうか。

私はこれから、出来るだけ、流す必要のない血や涙の結果としての芸術には拍手をしないことにしたい。
でも、客席からは、その違いがわからないのだ。


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観劇こぼれ話~蒼穹の昴で観た珍妙な感覚

1年の観劇総括も簡単だけどやった!ヨシ!
となってから、ハッと思い出したことがあった。

タカラヅカを観はじめて、こんな風にみえたことはほぼ初。
むかーしむかし、初めてテレビで見たころも、こんな風に思わなかったんじゃないかしらっていう珍妙な体験を蒼穹の昴で体験したので記録しておく。

女の子たち

この日私は、友会で当たったS席のチケットで観劇していた。友会であたるS席はいつも大体、1階16列~あたりなのでその辺かな、なんて当日みたら、6列目。
6列目って実質SS席じゃんねっていう…。
東京の宝塚劇場の場合、センターブロック6列目までがSS席。私の席は、通路を挟んで数席下手側という、なんともオイシイS席であった。こんな場所はなかなか回ってこない。
そこからみる間近なジェンヌさんたち。私は視力があまりよくないのでオペラグラスと裸眼とで、ピントを合わせるのに少々苦労したし、マスクの下でなんどもカラあくびをして涙目になることで、裸眼でのピントが合うようにしたりと、そんな風にこの6列目という絶妙な近さで、何とかできるだけ裸眼でくっきりジェンヌちゃんたちを見つめてやろうと苦心していた。

すると不思議、どこの場面であったろうか、家臣その1とかその2とかの、控えている何気ない脇の男役たちが、どの場面であっても、群舞ですら、どう見てもかわいらしい女の子に見えた。

これは衝撃的な体験であった。

男役は男にはみえないが男役に見える問題

小学生の時に初めてテレビで見た宝塚も、なんというか、真っ赤な口紅をしてようが目の周りが青かろうが、彼らがやっている芝居の役に見えていたし、違和感はなかった。
舞台上の男役を見て「いや女じゃん」とは思ったことはなかったのである。

たとえば、お笑い芸人がコントとして雑な女装をしている場合、「いや、男じゃん」の雑な女装度合いが笑いにもつながるし、女といわれたら違和感しかないが、彼らがいざコントに入り込むと、うまい芸人のは見た目が雑な女装のままでもかわいい女としてこっちも受け止め始める。芝居が大事ってことなんだと思う。

男役として舞台で芝居中のタカラジェンヌの男役をみて、女の子っぽいなあ と思ったことはこれまでの一度もなかった。6列目よりもっと前で観劇した時も思わなかった。
でもこの日は、どの子もこの子も、なんだかとってもかわいい女の子に見えてしまった。

いつも通りに見えた人たちと、やたら可愛く目に映った子たち

彩風咲奈や、宦官という役の上性別があいまいな衣装(京劇のとか)が目立った朝美絢をはじめ芝居の中心を担う役をやっている男役たちは、いつも通り何の違和感もなくそのお役そのものとして存在していた。
ただ、脇を固める若手の男役たちが、とにっかくみんな「やたらきゅるんとかわいい女の子がボーイッシュな髪型でたたずんでいる」ようにみえてしまった。

私の目がどうかしていたか
単に雪組若手にかわいい子が揃っているからか
雪組の若手男役像がなんかそっち路線にいっているのか


はて……。

男役の練度というものは、たとえば専科と比べたらそりゃ差が歴然とするけれども、文化祭映像でもない限り、みんなちゃんと男役なんだけどなあ。
文化祭映像は、私は正直ちょっとこっちが恥ずかしくなるのであんまりみてられない。フレッシュ過ぎて。特定の学年とかではなく全部そう。

そういうのとも違う、私はこの日何かに目覚めたのかしらっていうくらいに、珍妙な感覚に襲われた。
次の雪組観劇でももし同じようにみえたなら、そのときこそは、私の目に映る雪組の若手男役はみんな女子過ぎるってことなんだろうけど…。
単にあれかな、キラキラしてたのかな……。いやあ、メモしておきたいくらいに不思議な感じだった。



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2022年の観劇歴

2022年、振り返ってみれば、三が日の花組本公演を観劇初めにしていたのだ。観劇歴だけを観ると、それなりにあっという間の12か月を過ごした。

2022年はこれだけの舞台を生観劇した

宝塚のチケットは、友会から。たまにイープラスとカード関係の抽選。

花組
『元禄バロックロック』『The Fascination(ザ ファシネイション)!』 -花組誕生100周年 そして未来へ- 

月組
今夜、ロマンス劇場で』『FULL SWING!』
ブエノスアイレスの風』-光と影の狭間を吹き抜けてゆく…-
『ELPIDIO(エルピディイオ)』

雪組
『夢介千両みやげ』『Sensational!』
蒼穹の昴

星組
なし

宙組
『NEVER SAY GOODBYE』-ある愛の軌跡-
『HiGH&LOW -THE PREQUEL-』『Capricciosa(カプリチョーザ)!!』-心のままに-

OG公演
「8人の女たち」

星組とはご縁がない

コロナが続いていること、自分自身の体調管理や公演中止リスクも考えると、本当に行ける公演だけ申し込みをしようという前提で、宝塚大劇場公演についてはSS席が取れたら遠征するぞという、そういう申し込み方をしたけれども、SS席ってムラなら東京よりいけるか?なんて思っても当たらない。逆にひょっこり東京で当選したりする。まさに籤運。

にしても星組は当たらなかったなぁ。逆に宙組はようあたった。月組も当たらなかったが、よりレアな別箱が、お目当ての公演2つもみられた幸運。
そういえば月組は私の場合、前トップ時代から別箱のほうがいい席でよく当たってきたなあ。花と雪は、毎回1枚だけ当たるって感じ。
花組については、巡礼の年のチケットもあったのだが公演中止となってしまった。

なおこうしたチケット当落と組の人気は、あまり関係がないと思う。というのも、レアだレアだというチケットが友会で当選したり、FWMみたいな宙組の大きな箱での公演がまったくひっかからなかったり、じゃあ宙組人気だから取れないかというと本公演の東京公演で複数枚取れたり。
巷で言う組人気とチケット当落の確率は、むろん影響はあるものの、実際のところやっぱり当たるときは当たるし、よっぽど余っているってわけでない限り、倍率に関係なく外れるときははずれるものだと、そういう実感を得た2022年だった。
あれだけレアっていう帝劇エリザだってチケットサイトで複数公演当たっていた友人もいるし(私は一切ひっかからなかった)、チケットはご縁。

でも星組ありちゃんを観たいし、充実期礼真琴星組を堪能したいので2023年はせめて1公演くらい当たってほしいな。

どの芝居・ショーが一番好きになったか

んー、それぞれ、ぱっと思い浮かぶシーンはある。

『元禄バロックロック』 →圧倒的ビジュアル大勝利
『The Fascination(ザ ファシネイション)!』 →まどかの鼠頸部大勝利
今夜、ロマンス劇場で』 →海ちゃんがすごいきれいだったのと、新人公演ぱる君の素青年ぶりがツボだったのと、そのベースとなるれいこちゃんのこじらせが深かった
『FULL SWING!』 →今思い出せるのはエトワールのみ
ブエノスアイレスの風』-光と影の狭間を吹き抜けてゆく…- →あましちゃんの「うん」と、ありちゃんの凄いいい男ぶりと彩海せらのチンピラ小僧
『ELPIDIO(エルピディイオ)』 →色々なシーンがシーンごとによかったがフィナーレが凄すぎた
『夢介千両みやげ』 →希和ちゃんがよかったな。あとソラカズキ。夢介イケメン過ぎてよくわからなさすぎた。
『Sensational!』 →歌のサビはおぼえてるのと、ふぁいやーふぃーばーより面白かったという印象もある。
蒼穹の昴』 →全体的に良かった
『NEVER SAY GOODBYE』-ある愛の軌跡- →市長(だっけ)の歌ーーー!好きだ―ーーー!!!
『HiGH&LOW -THE PREQUEL-』 →なんだかんだ何回も観た。桜木みなと登場シーンはリピ必須
『Capricciosa(カプリチョーザ)!!』-心のままに-  →潤花の背中とキキちゃん銀橋ドーンがクライマックス 


芝居として一番面白かったのはどれか?

「8人の女たち」だなぁ。まあ芝居だけならアレにはかなわない。

出色の出来のOG公演を除いて、タカラヅカの公演のみで選ぶと、ラインナップを眺めていて目に留まるもの、あれはなんだかよかったなあって思うものは

今夜、ロマンス劇場で

今もまだ胸に残る作品となった。

2023年は

2023年は、2022年チケ運のなかった星組公演から観劇初めとなる予定。今から楽しみ。
宙組の新体制が間もなく発表となるし、たぶん年末年始の大組替えもあるかもしれない。それに、2023年のトップ交代がほかの組でもあるかもしれない。
常に新陳代謝するタカラヅカ…来年もまた元気で堪能できますように。



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