鳳月杏のプレサヨナラ公演であり、月組トップコンビのプレサヨナラ公演であるので、天紫珠李のプレサヨナラ公演でもある。
今日までたゆまず磨かれた男役というもののひとつのゴールのような、集大成をみせてくれたちなつさんの舞台であった。トップスター以外にも幾人かの男役が女役をやることは事前にわかっていた。しかし全員を女役に回して、舞台上の男は独りしかいない(少年時代の主人公はいるが)。
トップスターだけを輝かせる舞台かといえば否で、女役を演じた男役はその役者としての魅力を増していたし、能力をみせつけてくれたし、そしてタカラヅカにしかなしえないフィナーレにおいて最高のギャップを演出してくれ、観るものの心を震わせてくれた。
そしてトップ娘の天紫珠李は印象的に左側の横顔ばかり見せてくる序盤において、特別な美しさを体現していた。あましちゃんは本当に舞台でとっても美しい娘役で、この舞台上の格別な美しさは前任の海ちゃんから継承される系統かもしれない。存在に説得力があるのよね。
1日目と2日目
土曜日の配信は、舞台がはじまった瞬間から、なんか思ってたのと違うな?という印象だった。
この時点で私が知っていたことは、原作の「81/2」という映画と、これを原作としたミュージカル「NINE」のWikipediaの記事をさらりと読んだ知識のみで、タカラヅカ版の今回のNINEの情報は、ほぼ知らず。公式にあがっていた、主要キャストが並んだ紹介映像を事前に観ていたくらい。
で、いきなり人間ドラマ臭いぞ、これはわかりにくそうな内容だぞ、と開始15分くらいでじわじわくる。おおもとのオリジナルがイタリア・フランス合作映画だったことを思い出し、私について行けるかしらとどきどき。実際途中ちょっとスマホいじりながらの配信視聴となった。
一方で2回目の日曜日の千秋楽については、この1日目の若干注意散漫ながら観た経験がよかったのか、せりふの一言一句にひきつけられた。
それぞれの役が無駄なく必要なことしか表現していない感じとかがすごくわかりやすく伝わってきて、全員の役者のうまさとか、月組のよさとかそういうのがスコーンと、このNINEという作品を素晴らしく仕上げてみせてくれているのが、わかった。
2020年版とロゴ
2日間の配信を観終わったあとに、「NINE」のロゴにあしらわれている、左側の横顔を見せている女性のシルエットは誰なんだろう?ポーズからして妻のルイーザだろうか?でもなんか違う気がするな、と思ってスマホで検索したところ、2020年に梅田芸術劇場で上演されたNINEの公式動画が色々あがっているのをみつける。
この当時はDVDの発売もできたんですね。なんと。今回映像化できないのは残念過ぎる。
当時の映像をみたら、舞台全体の演出は(オリジナル舞台があるんだから当たり前だけど)同じなんですね。今回まゆぽんがズバーンと演じて我々観劇者のハートを打ち抜いた、
リリアン・ラ・フルール役を、前田美波里さんが演じられていた。めっちゃ素敵だったでしょうねぇ。当時のダイジェストをみて、なぜこの役がまゆぽんだったのかちょっとわかった。格別に迫力のある美女でないとダメだったのね。
ロゴに隠れている女性のシルエットについては、妻か、クラウディアか、女という概念かとか複数説が最初っから色々あって、特にこれと公式がうたっているわけではない模様。
主人公グイードにとっての女とは、と思うと、特定の誰かではなさそうってのが私の考えです。
映画さえできりゃなんでもいい男
事前にちょっと調べていたのでわかっていたんだけれども、グイードと妻ルイーザが最初にまともな会話をするシーンでは、グイードは10人くらいの美女に取りつかれている。
あれは彼の脳内の状態で、その後の各シーンでも、ていうか冒頭の、全員の女が舞台上でがやがやしているのも、全部グイードの精神状態、彼のあたまのなかなんですよね。
それがうるさくってかなわない。
かといってそれらはグイードを優しく甘く心地よい気持ちにしてくれる存在でもあるので、断ち切れない。
でもこのミュージカルで描かれている「物語上で実際にあった出来事」は「夫婦で避暑地のスパに行く」「出資者に追われる」「愛人が押しかけてきて離婚と結婚を迫ってくる」
で、でもグイードのミューズであると信じていたクラウディアをもってきてもグイードの創作意欲は枯渇したまんまで、最後は死を選ぶがそこは非常にあいまいに描かれるっていう、
そういうミュージカル。
最後が一見あいまいなのは、この話の原作である「81/2」が、フェリーニは当初映画のラストシーンに自死を明示して描いていたが、ともに脚本を担当していたトゥリオ・ピネッリが「ラストはハッピーエンドに」と警告し、修正されるも、完全に撮り直すことなく衣装などが混在したため、なんだかちょっとちぐはぐなところがある、という有名エピソードがのこっており、これを舞台化した際に、映画では破棄された元のラストシーンにつながる銃の場面が、印象的に盛り込まれたみたい。そう見えた。
なのでこの舞台NINEのラストシーンは、主人公グイードの死が暗示されている、ということになる。ただそれは、本人の肉体が死ぬことなのか、映画監督としての死や、9歳の自分の死なのか、みたいな精神的な概念的な死であって、グイードとしては再生を示唆しているのか。
元をただせば9歳の頃の出来事から彼の人生は歪み(ほんとはそういうことじゃないんだろうけど)、人生半ばにしてこんな感じに生活が破綻しました~っていうのがこのNINEって話なんだと私は解釈したんだけれど、全体を通して、このミュージカルのグイードの再生のはなしというか、救いとか希望とかそういうポジティブなものを感じて、観終わった後、とても清らかな気持ちになった。「舞台のグイードは自分に引き金は引かなかった」というのが映画版のラストをハッピーエンドにしたという事実とあいまって正解であるはずだし。
けれどあのラストはグイードの何かは死ぬ。そして清らかなものが残ったような、そんな風に感じた。
全員熱演すぎる
今回誰がよかったかといえば、これまた27名全員の名前をあげなくてはならない。
が、特に書き残しておくべきは、まずは鳳月杏がすごいということ。これはいったんおいておく。
あましちゃんがボブのカツラが本当によく似合って美しくって、舞台上で特別感(妻!)があって、素晴らしかったです。彼女にとっても娘役の集大成ですわね。
それから礼華はる。デカい白人女を演じていましたが、くいッと上がった眉が似合って似合って。それでいてただのコスプレではなかった。やっぱりぱるくんには特別なものがあるなってあらためて思いました。フィナーレでカッコよく登場したときも最高すぎましたわ。
みんなが名前を検索したであろうし私もした愛人カルラ役を好演した美渦せいかちゃん。どこかで名前をみたぞ、と思ったらゴールデンリバティの新公ヒロインでしたね!
いやらしくなくっちゃいけないけどキュートさがなくっちゃいけないし下品なのはダメというなかで、すっごくよかったし、もう一人のヒロイン状態でしたわね。
彼女がウッキウキで離婚に関する書類を見せ、グイードに破り捨てられ、それをいっしょけんめい拾って、広げてるところ、あの姿に同情しない女っているんでしょうか。
彼女は愛人だから同情の余地ないわ!て思う人もいるかもしれないけれど、私はとっても胸がいたくなった。
少年たちの夢の女サラギーナ
グイード少年は「例の小屋」に行っちゃったことがばれて大問題になったようだけれども、ママ(夢奈瑠音)の台詞を信じるなら、学校の少年たちの間では有名な場所でみんな行ってたみたいですよね。
2日目の配信で注意深く見ていたら、リトル・グイード(美海そら)との絡みの振付が非常に官能的でしたねぇ。1日目の配信視聴時は気が付かなかったんだけれども、サラギーナにからみついて腰を1度だけ動かして、少年時代のグイードにおとずれた性のめざめをしっかり描いていた。
桃歌雪が見事に演じきったサラギーナ、悪の女ってことなんでしょうが、女の一部の象徴的存在でもあるように思えた。全然キライになれない存在。
かしらかしらご存じかしら
舞台の狂言回しのような役回りだった「スパの聖母 姉(花妃舞音)」と「スパの聖母 妹(乃々れいあ)」のお役。配役された娘役さんがまたいいじゃないですか。
私これ、はじまってしばらくして、すぐに思い出しましたけれども、「かしらかしらご存じかしら」のあの台詞の影絵少女たちが出てきたアニメ。
そう「少女革命ウテナ」ですわ。
存在も何もかも、影絵少女だな~って思ったけれども、舞台NINEが2009年、少女革命ウテナが1997年ですから、ウテナの影絵少女の演出の方が先!
元ネタだったりして~。
※追記
元々のスパの聖母(マリア)は独りで演じるキャラだった!ので今回の姉妹演出は指田演出ですね。てことはウテナの影絵少女っぽさがあったのは
本当にそうだったのかも……なんて。