働き方改革とかいう後付け(にきこえる)理由で、礼真琴の休業期間が発表されたあと、ざわざわしていた。
私はというと本人の口から説明されたことについてのみ歌劇団に対してくそ組織だなあとがっかりした。休むことそのものには何とも思わず、大いに休むもよし、連続主演するもよし、と思っている。トップに限らず、誰であっても休みが許されない環境にずっと身を置くのは女の身には過酷であるし。
休演(公演中止)
『中止の期間、休めてるじゃん』という意地の悪い声をきいた。いやいや…。なんとまあ…。
休みとか外出制限なんてもっともっとあり得なかったコロナ以前の、あのピーク時代、ジェンヌさんたちの多忙さも極限だったように思える。トップスターの退団に白服集団が何人集合していたかがニュースになっていた時代はもう遠い昔。
コロナ以降政府方針により、宝塚に限らず世のなかの人の動きが抑制されたとき。たぶん一番最初は、誰もがその非日常感に不謹慎にもワクワクする気持ちが少しだけあったのではないかと思う。イレギュラーな事態が大いに苦手な神経質・慎重タイプな人もいるが、たいていの人は「学級閉鎖に思わず喜ぶ一般生徒」側の人間で、まあちょっと変にテンションあがっていたような。これは非難すべき精神状態ではなくむしろ不安な状況から身を守る生存本能によるものだと私はとらえている。
ジェンヌさんたちも同様だったのではないかな~とちょっと思う。勝手に思ってるだけ。
ただし、あれよあれよと休演期間が長引き、開幕がままならないとか、お稽古が全然できないとかの約半年間。
そこで「不謹慎だけどちょっと休めるわ、いまのうちに心身休めてメンテしてリフレッシュしよう」なんていう風にポジティブにとらえていた気持ちもしぼみ、開幕しても即中止とか、だんだんと状況の深刻さの終わりが見えない状況となって、当初の非日常感への浮足立った気分はどこへやらとなり、かつてのせわしない日常がいとおしくなったろう。誰もが。ジェンヌさんたちだけじゃなく。誰もが。
コロナ規制が緩んだいまなお、体調不良者多数という状況ではやむを得ず公演中止の日々は現実におこっている。
その状況で「休める~」なんてゴロゴロしてる人種はたぶん間違いなくジェンヌにはいない。そういうこと考える人種はそもそもジェンヌになってないだろうし。
公演中止の休演とは、単なる休みではない。プレッシャーはかなりのものだろうと察する。
休演理由はひつようなのか
亜音有星くんの、次回本公演全日程休演が公表されてずいぶんとざわついていた。
心配する声も大いにわかるけれども、これをつつくのは、なんというか、有休取得に理由を述べよと言ってくる会社や上司や同僚と同じようなものなんじゃなかろうかと思う。
心配の名のもとに、なんであれ理由が知りたいっていう好奇心がうずいているようにみえる。
だから理由は、今後もいちいち公表しなくていいよって思っている。誰の休演の場合であっても。
休む理由がある人が楽に休めるようになってほしい。お互い様だもの。しかしまだまだ世のなか…理由が大事、なんだよなあ。