隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

君たちはどう生きるトリか

先日、例の鳥映画を観た。日比谷のTOHOシネマズで。宝塚歌劇以外でこの界隈に来るの不思議~。千秋楽の翌日だったので、なんか界隈がほっと静かだった印象。

映画の方は公式がネタバレを一切許さない姿勢というか、何も事前情報を入れない状態で観てほしいと広告も打たないくらい徹底している以上、観に行きたい人は本気で何も知ろうとせずに黙々と一人で観に行くといいと思う。

私は、時間をおいてもう少ししたらもう一度観て、自分の中でどう感じるかを体験したい。

民度が低いのではなく文化が変わったのだという事実

タカラヅカ以外の劇場に行くと、なんかちょっと客席の様子や劇場内の雰囲気がこうも違うか、と感じることが多々ある。ヅカの方が〇〇、ヅカ以外の客席は〇〇と、特徴もあるだろうけれども映画館よ……。
劇中と前後にすごい人が立つし、カップルは会話しながら映画見てるし。変なところで笑うし。あまりにやかましくてカップルシート行きなよと思うくらい。でも電話ならしたりスマホ光らせながら映画見たりっていうガチヤバ勢はいなかったのでまだいい方なのかな…
いまのひとは、公共の場ですこしの我慢より少しの我がままをヨシとするようになっているんだなと思った。 こういうものと思えばまあいいかなと。

演出というもの

映画のネタバレをする気はないが、映画の始まりから終わりまでの演出について、その確かさというのか、最近の映画でもアニメでもなかなか見ることはできない完ぺきなる技みたいなものをほんと久しぶりにみた。鳥映画は、原作・演出・脚本を監督が一人でやっている(らしい)。そうクレジットされていた。

作・演出が常に一人でクレジットされているタカラヅカ
ときどき…「誰か止める人いなかったんかな」とか「誰かおもしろくないっていわなかったのかな」とか「誰かこれパクリじゃねって言わなかったのかな」とか思うことがあったりする。一人でやるにはそれまでに多くのポジションでの経験が必要になる。アニメ演出ならアニメーターの経験がいるように。そして何より、優秀な演出家や脚本家の下で働く経験。
宝塚の演出家も実際のところ単独クレジットされるまで長く経験を積まれているのでそこは問題ではないと思われる。

ただ、作品にするとき。
新人ではなく、新人をみる側の師匠側にたっている演出家たち。
その作品を世に出す前に、ちゃんとダメ出しの機会とか設けられていて、ハラスメント系の監修を受けるなどして、揉みに揉まれているのだろうか。

一人で何でもできる人は基本的にいない

有名な話だが、ジブリの鈴木Pは期待の若手アニメーターを宮崎駿監督からできるだけ離すようにしたというエピソードがある。
宮崎監督は秀才で天才で努力家であるので、有望な若手アニメーターが渾身の原画をかいたとしても「なぜもっと努力しないのか」と問えてしまう人である。指導者スキルを監督は持ち合わせていないので、有望な若手は有望であればあるほど絶対に埋まらない才能の差を理解してしまい手を止めてしまいかねない。そうならないよう、プロデューサーが立ちまわっていたというのだ。だいぶ昔々の話であるが忘れられない話だ。

演出家は不足しているのか

最近よくSNS界隈で話題に上がる「演出家不足」。確かにひとり、期待の人気演出家が外へ出たいと退団。もうひとり、想定外のスキャンダル退団で、育成が一朝一夕とはいかないジャンルでこれは痛手だろう。
私の友人に脚本の仕事をしている人がいるけれども、本を書いている期間はとにかく忙しそうで全く連絡がつかなくなる。連ドラものになると、担当話数を本人が描き上げるまではメールの返信すらない。こちらもそういう状況になっていると知るとメールはしない。仕事のリズムや集中力を削ぐような、邪魔をするようなことをしてはいけないからだ。

それら作家の仕事の、多くの時間が個人の戦いとなると、書き上げるまでは、形になるまではひとりで格闘する仕事であるなら…ときどきトンデモ凡作が飛び出すのは必然だ。傑作が並ぶには全員、宮崎駿ほどではないにせよ、多くの下積みと経験と才能が必要になるわけだし。

で、全員に天才であることを求めるのは無理なので、歌劇団の演出家の育成には、きっと山ほどあるだろう手法とか、小技とか、歌劇団ならではの構成上の縛りとかそういう約束事とかをとにかく教える そういう育成になっているのではないかしら…と想像する。

舞台装置の場面転換や役者の早替え・配置転換の兼ね合いもある。盆だって回せばいいというものではない。銀橋の使い方も難しそうだし、なにより、何より演出家にとって難しいことは「常連客たちの注文をどうさばくか」ではないかと思う。
配役も含めてもっと作品のストーリーの優先度をあげることができたら面白く作れたのに、制約のために山ほど我慢した、なんていうことはきっとたくさんあったろう。
それら制約を飲み込んで、タカラヅカの舞台づくりをモノにできて、はじめてファンが全方位からヨシと言ってくれる作品なるのだろう。それってとっても、厳しい道のり。

色々いわれるけどヅカの水準は高いぞ

幼少期から人並み以上にたくさんの舞台を観てきた。その中の多くが、わりと退屈な舞台なのだ。正直にいえば。
思い返せば、観てきた観劇回数と比べると本当に、これぞという舞台は少ない。ただ満足度のとびぬけて高い観劇体験を与えてくれる劇場がある。歌舞伎座、そしてタカラヅカの東西劇場。

歌舞伎の古典作品は繰り返し上演されてきただけの作品そのものの力があり、演者の特別な技術がある。
タカラヅカは演者の特別な技術・魅力と、独特なフォーマットのショーがやっぱり強い魅力と満足感を与えてくれる。ちょっと普通の芝居見物とはやっぱり違うのかな。

気を遣う問題

最近、とある役者さんから、ご自身がかかわったとある作品の映像をいただいた。私はその舞台、スケジュールの都合がつかずに劇場にいけなかったのだが、わざわざデータをくれて。すぐに観た。けど感想をすぐに送ろうと思って悩んでしまった。
いや演者はいい。舞台装置もいい。ただ話がよくわからなくって…それを正直に伝えていいものかひどく迷ってしまった。

役者さんってこっちが思っている以上に、ほめちぎると大喜びするし、少しでも気になる言い回しをすると気にしてしまう生き物だと思っていて。こっちだって感謝と愛しか伝えたくないわけで。
でもこう、難しくてよくわかんなかった話を、そう伝えていいものか……

傷つけたくないが、作品の出来、品質の責任者に対しては大事なダメ出しをする人というのは必要と思う。タカラジェンヌたちは日々厳しいダメ出しをもらうという。上級生や演出家に。
その演出家に日々ダメ出しをする上級生演出家みたいな人、いるのだろうか。もしもそれがあの個性の塊のような理事演出家たちだとすると、うーん、若手大変そう。