隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

戯曲が先かスターが先か

最近の舞台ニュースを観ていたら、エリザベート終演後だろうか、大輪のようなお花様エリザの勝負ドレス(例の白いふわふわの)と劇場内満員観客席との全体を写した、記念写真が掲載されていた。彼女とエリザは切っても切れないご縁の作品となった。この日本でエリザ役者といったらお花様。
誰にとっても東宝エリザ=お花様 になったな、と思う。その集大成という言葉によって今回が最後という感じが出ているけれども。
ダブルキャストの愛希れいかは、私にはあんまりエリザ役にはまるタイプではないように思うのだけれども、主演にふさわしい役者だから今後も出演しつづけるんだろうな。
華があるし集客力もある。
にしても、観客はエリザが好きなのかお花様のエリザならみたいのか、どっちなのだろうか。
果たしてエリザ大好き日本人は、エリザベートという舞台戯曲のことを純粋に好きなのだろうか。それとも「お花様のエリザ」が人気なのだろうか。

タカラヅカで女帝と呼ばれた近年のスターは第一にお花様。それは超長期の就任年数によるし、今映像で観てもやっぱり圧倒的なスタイル。
次に(一部で)女帝呼ばわりされたのがやっぱり長期でトップ娘役を務めた愛希れいか。

数年後、星風まどかが満を持してエリザ役者として、タカラヅカ東宝エリザへ降臨予定なのだろうか。愛希&星風のWキャスト?ありそう。

有名ミュージカルも、無名の小劇場ものも

情報もチケットも、相当がんばって自ら集めようとしなければ、帝国劇場で上演される大きなミュージカルは観ることができない。
そこを満員にしている観客が観ているのは、純粋に芝居なのかはわからない。演者抜きにして考えるのが難しいものだし。
しかしながら、タカラヅカに慣れた目で帝国の他、大作ミュージカル舞台の出演者を眺めてみても、結局のところ、主演をはじめとするメインキャストをとっているのは
大体同じメンバーのように見えて、なんだ、まるで●●歌劇団●組のようなものじゃないか、と。

小劇場のお芝居は知り合いがいるか、友達に誘われるか、何かしら「誘われ」みたいなきっかけがないとそもそも出会えない。
一度劇場に行けば大量のチラシによって、公演情報が手元にやってくる。その中のチラシのあちこちに元ジェンヌの名前を見つけたりもする。

タイトルやあらすじを観て、興味を惹かれて実際に劇場に足を運んでみる機会っていうのは、どちらかというと、観るこちら側の心身のコンディションとか気分と
そのお芝居のタイトルや内容がマッチングしないとなかなか…ないことなのではないかしら。

あっちもこっちも役者が客を呼ぶ

テレビや映画業界も結局、誰が出るかで出来上がる。人気アニメーションが映画化するときにキャストが声優からテレビ芸能人にチェンジされることは、当たり前のことだった。集客に影響するから。下手になるのはみんな知っているのにテレビマスコミが取り上げてくれない。アイドルが出てないと。
そういう現状は、タカラヅカをスターありきで観るファンよりもっとあからさまで、エンタメの物語や世界の作り手にとってはなかなかの壁なのではなかろうか。

ライジング!を思い出したよ

昔々の少女漫画、氷室冴子先生(大のヅカファン)原作、藤田和子先生(確かな画力と構成力に定評あり)作画で発表されたウン十年前の、タカラヅカをモデルにした歌劇団を舞台にしたアレ。
私が子供時代に読んだ時点でちょっと世代が前のマンガであったけれども、めっちゃ面白かった。あの当時の私はタカラヅカよく知らなかったけれどね。
たしか、舞台となる歌劇団タカラヅカとほぼ同じようなところで、ヒロインは帰国子女で、歌劇団のことを何も知らずに入団。
スターになっていくけれど、「男役至上主義じゃなくって、娘役をトップスター(主演)にして舞台をつくりたいんだ!」と野望を抱く演出家によって男役から娘役に転向。物語後半では、歌劇団を辞めて、一般芸能界の舞台へ出ようと挑戦していくが、厳しい世界に歌劇団で守られてたんだわ、と気づいたり、みたいな、

大まかには、タカラヅカとそれを取り巻く世界に忠実で、だけどマンガとしての大嘘(娘役をトップに、とか)を混ぜてあって。
「純粋に舞台作品を観るには、演者は無色透明のほうがいいのだろうか」みたいなことを考えていたときにこの漫画を思い出した理由は、印象的なシーンがあったから。

ヒロインが娘役に転向したあと、とある役で舞台に出た瞬間に拍手がもらえてホッとしつつ芝居する。別の日に同じ役を務めたライバルでお友達の娘役よりも自分のほうが拍手はもらえたが、客席の反応が違うことにヒロインは気が付く。ライバル娘役のお芝居では、劇場全体が彼女のお芝居に感情移入して泣いてたりしてたのだ。
入出待ちをしていた自分のファンに、自分の舞台のことを聴いてみると「●●さんが出てるだけでうれしい!」みたいなことを言われる。
ファンの純粋な自分への愛情を感じつつも、それって、自分の芝居やダンスの質とか内容は関係ないんだということでもあって、ジレンマを感じる という…

この漫画、調べたところ1981年から連載されていたマンガ。昨今議論されている問題って当時からマンガでも描かれてた。

愛がなければ

想いが強くなければ、舞台への愛情や商業演劇の未来を思わなければ、普遍的な戯曲を、演出を世に出したい などとは思えない。
私はかつて、友人が出演しているというだけで、全く興味がなかった某演歌歌手のお芝居&ショーという公演を観に行った。
出演者の取り扱いでチケットを取ってやれば、1枚ごとに友人にバックがある、枚数をさばかねばならないチケノルマよりこっちの役者扱いってのが私の友人知人の舞台関係者からはよく聞くやつ。半分以上義理だったけれどそれでも行ったのは、場所が明治座で、明治座って一度は行ってみたいな、なんていう気持ちで。

しかしこれが、めっちゃオモシロかった。いまだに思い出せる舞台のひとつ。あのスゴイいい塩梅の、一部のお芝居。ぱっと華やかになる二部の歌謡ショー。そこに出てくるゲスト歌手に、バーターで出てくる事務所の新人歌手まで。客席は常連が多いのか、みんなわかってる反応で。

私は気が付くと、無邪気に舞台を楽しむ観客のひとりだった。真ん中にたつ、本公演の看板である演歌歌手のことは名前しか知らなかったけれどもとっても楽しかった。
これは、公演名にもなるような大物演歌歌手というスターと、それを推すシニアファンたちによって成り立つ公演であったけれども。私の感動はそれらの関係の外にあった。

そんなこともあるよね、と思う。





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