隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

2022年 ミュージカル「エリザベート」コンサート in シェーンブルン宮殿 の独占配信を観た

このトート、えっろ…は?惚れるわ、は?となった。

30周年の記念行事として、シェーンブルン宮殿エリザベートの登場人物たちが実際に起居した宮殿)の前でエリザコンをやったのかと思いきや、
毎年夏の恒例イベントであったとは。ウィーンの人も好きやのぅ…

コンサート?

日本でもエリザガラコンを派手にやっておりましたけど、それも配信でたくさん見たときにも思ったんですけど、ほぼ芝居で衣装も結構寄せるし、ほぼ演じてるし。
コンサートとは。
と思ったんだけど、この本家のコンサートもそんな感じで、広大な宮殿前広場にこれでもかーと観客を野外で集めてのコンサートで、後半にはガチ馬車まで出てくるし観客はそれにうぉおおwwwとなるし。

エリザベートはもう、お約束の古典という域に到達しているんですかね。だから美味しいところ(=楽曲のシーン)だけやるだけでもう楽しいんだわ。ほぼミュージカルそのままやってるんでは?と思っていたけれども、みんな脳内で完全再生できるから、前後の芝居の細かいところはできるだけそぎ落として、楽しいところ(=楽曲)でいいや!ていうことなのかな。
歌舞伎の公演でも、全幕やらない芝居だらけでかの忠臣蔵ですら、いくつかの場面はすっ飛ばしてやらないのが当たり前というシーンが何か所もあるし、全幕ほぼ滅んでいるけれども名場面の詰まったこの場面のみ繰り返し上演され続けている、なんて演目もざらで。前後を知らないから?と思いながら観劇することが多かったけれども、そこだけやっても大人気でそこだけで大満足!ていう域に達するほど、広く認知されていたという背景がまずあったわけでね。自分が知らないだけで。
時代が変わってそれも廃れてきただけであって。

エリザベートガラコンというものはきっと本国でもそういう感じなのだろう。全編ミュージカルとしてちゃんとやるのもまだるっこしい、夏の祭りの場ではキッチュと叫ばせろ!!みたいな…
ていうかキッチュ!てみんなでシャウトしていたよウィーンのひとたち。この、WOWOWで今回独占配信された映像は、
2022年6月30日、7月2日/オーストリア・ウィーン シェーンブルン宮殿
とある。今年みんなはしゃいだんだなあというのが伝わってくる大変見ごたえのあるコンサートであった。

当たり前だけれども

ほぼそのまんまであった、日本上演版と。いや向こうが本家だし当たり前なんだけれども。ただ、フランツ・ヨーゼフがシシィを見初めたシーンの、本来の見合い相手であった姉の歌は、日本版にはなかったような…?
この放送、字幕はこの番組用の日本語字幕がついているので、各楽曲の日本語訳も番組独自であったのでかえって新鮮で、原曲の歌詞の雰囲気はこうであったのかなど、驚きや発見が多々あった。
なかでもこの、自分のお見合いのはずだったのに妹が見初められてしまった、物事は計画通りに進まない~という場面での姉の独唱があって、
「3年間もお妃教育をしてきたのに」
という歌詞があったのね。こんな歌詞の歌をタカラヅカ版や東宝版で観た覚えがなく(東宝版エリザは生で観たことないけど)。あるのか?あったっけ??

いやあ、これ大事よねと心に残った。フランツ・ヨーゼフはその辺のボンボンじゃない、大国の皇帝になる人だったわけだから、3年かけて教育受けた女性を伴侶に選んでおけばねぇ…大事よねぇ、公的立場の高い人の結婚は、身分違いとかダメよ…不幸しか呼ばないわ、とシンデレラストーリーを大否定するようなことをしみじみかみしめる場面であった。

最初は不思議であったのに

トート役は短髪の金髪で全身白く、普通の恰好というのか、礼真琴版ロミジュリのロミオの最期の場面の白い衣装や、先日の礼真琴版王家に捧ぐ歌の白い衣装に近い、現代的でロックテイストで真っ白、て感じで、イケメンでナイスバディの俳優がつとめていた。登場シーンから余裕の笑みまで浮かべて、キミは俺に恋をしているのさ愛してるのさ ていきなり歌うノリ。
トー…えっと、元々はただの「死」という役であって黄泉の帝王だなんだってことではないのよね、という知識はあったものの、透明感があるチャラさってナニソレ素敵。

しかしこのトート…恐ろしい。
間違ってもトート役の俳優は決して、必要以上にフェロモンをまき散らすとか、なんかわざとらしいエロさで釣るなんてことはなく、実に品よく、不思議な透明感があって
、でも存在感なのか、男としてカッコイイというのか……これがシシィの妄想男子なんだとしたらシシィ、趣味が良過ぎる

ウィーンの本家エリザ。コンサート形式とはいえ役者たちの芝居や演技に関して、日本に輸入されて演じられている役づくりとのギャップはほぼ感じなかったのに、このトートに関しては、死の解釈ごと違っているんだと思った。
コンサートでは別に物語にそってトートという存在の見せ方が変わらなくていいわけで、最初からその本来の姿であっていいから、白なのかしら。

少年ルドルフ 子供がやるとなおいっそう

可愛い&せつない。これはとってもきゅんときた。おまけにうまい!!!!
あと、原曲でも「きのうぼくはねこをころしたよ」て歌うんだなぁと。ここで、タカラヅカ版歴代トートはそれぞれ、顔をしかめたり見守りの笑みをみせたり、ちょっとした芝居をみせたものだけれども、この本家のトートは無反応であった。小さな子にそっと寄り添う、薄い布のカーテンみたいだった。

この辺のトートの芝居というのか、魅せ方で、私はすっかりやられてしまった。

シシィの描かれ方

私がミュージカルエリザベートについて、楽しいエンタメなんだけれどもちょっと、針の一本分の嫌な感じ…がするのは、史実のシシィはもっとわりとろくでもなかったんじゃなかったでしたっけー!! と突っ込みたくなるくらいに舞台上のシシィの多くが被害者っぽい点への疑問がどうしても頭をよぎってしまうところ。
美しすぎるヅカ版シシィたちについて、ちょっと「悲劇のヒロインヅラするなよ」て思ってしまう。
けれども本家版は結構、子ども引き取ったくせに興味ねぇんだ みたいな直接的な台詞による表現もされていたし、あのミルクの場面もそうだし、フランツの裏切りの場面もそうだし、もっとしっかり生々しくって、彼らの国で現実に生きていた人として、決して瑕疵のないお姫様とはウィーンの人も思ってないんだわとわかって非常に面白かった。
理想的な品行方正が愛されるわけでなし、正論を訴える人が受け入れられるわけでなし。この辺は昨今の量産型創作物語のヒロインとは質が違うということか。

本家はイイ、ということがわかった

トートはシシィのための存在でほかの人と共有する存在ではないから、登場なりなんなりで、私はトートであるという主張を一切する必要ないんだよね。
この本家ガラコンのトート役マーク・ザイベルト (MARK SEIBERT) は、観始めたときは全然…だったのにどんどん引き込まれてしまった。
あとシシィ役は、前半は若い女優で、鏡の間のシーンからえらい貫禄のある女性になって、さすが…?お衣装が…?と思ったら女優がよりベテランにチェンジしてた。
貫禄あったの当たり前だった。

海外ミュージカル ではなく、海外にミュージカルを観に行く…そんな楽しくて贅沢な旅をしてみたい。ウィーンにね。


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