昨日の観劇に続いて本日も、ライブ配信で反芻しながら満喫、ダル・レークの恋。
いやぁ…
いや~~、月組って全組中最高にうまいよねやっぱり!
うっかり他組と比べると誤解と批判を招きかねないのですべきでないけれど、下級生もみんな歌えて踊れてモブ芝居がうまくって、実にいい、月組。
各組、なんとなくピラミッド型に番手があるが、月組は全員歌える・芝居ができる・踊れる。充分にすべての要素の平均点が高いなと思う。若手もみんなよく育ってるのがいいよね。こうした別箱公演で、30余名のメンバーのみでの公演は、本公演以上に各自の活躍の場が多く、じっくりとみられていい。
美味しいところ独占の海乃 美月
ダル湖のヒロイン、カマラは難しい。観客に嫌われたら最後、作品を下げるから。
カマラがどういう背景を持っているから、祖母の言う通りに別れを告げたのか、カマラがどういう育ちだから、ダル湖でのラッチマンとの夜で、ああいう言動だったのか、
祭りのシーンでも、そして2幕の、ラッチマンガお別れを、というときの愛を乞う台詞も、カマラがただの世間知らずのお嬢様なだけだと全体が軽くなり、ひいてはラッチマンの愛が軽くなってしまう。
この辺の構成要素が「霧深きエルベのほとり」と似ているが(どちらも菊田作品、彼の性癖がわかるというもの)、いずれも「女」が「ただ愛のためにすべてを投げ出すことはしない」という点が共通しており、男が去って悲恋となる。ただ自分だけを求め愛してくれないと絶対に許さない菊田作品のヒーロー達、嫌いじゃない。
しかし、カマラの世界はインドの絶対に超えられない身分制度があり、ただの身分差とはわけが違う。
うみちゃんカマラは持ち前の品の良さとヒロイン経験値と身体能力で、よいカマラを作っていたが、私は彼女が芝居上手だとは思ったことがない、のかも。
カマラの芝居についてはとことん演出家と好みがあわないのかもしれないだけで、うみちゃんがというわけではないのかもしれないが、うーん。
別れを告げるシーン
「それは、あなたに言わせれば恋かもしれませんが、私にとっては楽しい、夏の間の『ゲーム』でした」のせりふ回しがどーも、違う!と生観劇でもライブ配信でも感じた。
祖母の命令とはいえ、実に的確に容赦なくラッチマンの心を刺し殺したカマラで、色々強調したかったのかもしれないが。
あと、この夏のことを沈黙し姿を消す代わりにカマラを所望すると宣言したラッチマンに対しての、身を縮こませ戸惑い震えるようなカマラは、本当にもう、ラッチマンを実は悪党としか思っていないようで、ちょっと残念。
彼女ほど、上手にこなす娘役がほかにいないのかもしれないけれど、海乃カマラは私の好みではありませんでした。ただ好みの問題なので、彼女が素晴らしくこの舞台での役割をこなした力は見事だと思う。生観劇のときに、間近でみたうみちゃんって、舞台上の誰よりも顔がちっちゃかったし、ウエストは細いというより薄くってうわあ、と思ったんだけれど、ダル湖ポスターのうみちゃんって、「イケメンな王子に寄り添うウマ面な義母」みたいな感じでなんかいまいちに感じるのは私だけ?
めっちゃ綺麗だったよ本物は。
脇がみんなよかった件
アルマ役の夏月 都さんは、役どころに合ってて、なんか海外ドラマにもいるよねこういうの、って感じでよかったです。
それからリタ役のきよら 羽龍。うみちゃんがいかにも完璧で親や親せきや祖母の期待を一身に背負った姉って感じで、そんな姉ばっかりひいきされてていけすかねぇと思っている妹感がめっちゃあって、ペペルが自分をだましていたとわかったとき、ペペルに頬っぺたつかまれたときのブサイク顔がすっごいかわいかった。
酒場の亭主/ハリラムをやった蓮 つかさくんも、観客の注意をひいて、いいわき役っぷり。ピガールの時も思ったけど、うまい!
そしてあちこちで活躍していた蘭 尚樹くん。
ちょっとしたきっかけがあり、ピガールから贔屓目でみている蘭 尚樹くんは、生観劇のとき私の真ん前あたりで、2幕パリのシーンでは、娘役さんと「歓談→ワインを受け取り、香りを試し色を確認し、試飲→二人で味の批評→ワインを飲みつつ歓談」というモブ芝居を繰り広げていて。
ライブ配信ではこの部分が映っていなくて残念だけれど、常にきらっきらと楽しそうにしてましたねぇ。
ほかにも名前と顔が一致しない子が何人か、いいなと思った。
月城かなとのラッチマン
過去上演されたダル湖を私は観ていないのだけれど、過去作を知っている人は皆、今回の演出や役のみせかたがずいぶん違う点と、今作の演出も、月城ラッチマンについても好意的な感想ばかりで、違いがわからない私としては、今作の出来は、よく知っている人が見てもいいのだなと感心するばかり。
ライブ配信でじっくり観劇して感じたのは、ダルレーク小舟での濡れ場のあと、湖畔での祭りのシーンについて。あのシーンって、めっちゃくちゃカマラに対して残酷なシーンだなと。月城ラッチマンがソフトで、カマラへの愛を貫いている分あの祭りのシーンですよ問題は。
カマラからしてみたら、事後、それなりに気まずい思いで連れていかれた場所が、下の身分の、庶民たちの祭りの場。でもその場は、ひと時すべてを忘れて、ただのラッチマントただのカマラ(かつてラッチマンが自分たちのことをただの女と男だといった通りの)という二人になって、一切の壁も上下もなく音楽に身を任せて踊って、
来年結婚するただの百姓の息子と娘だと名乗ったら、見知らぬ周囲が祝福してくれるという幸せそうな情景をみられたのですよ。
このシーンは、カマラが手放してしまったもの。
ただのラッチマンを愛しているといえたなら、本当になっていたかもしれない世界。こんな未来があったかも、とカマラの脳裏によぎったに違いないし、ラッチマンが欲しかったものがこれ。
ラッチマンは筋金入りの変人でしょう。この時代のこの国では。彼がなぜ己の生まれや身分を拒むのかについては、はっきりとは描かれていない。
しかし7年も前にパリですっかり無頼漢としてすれた生活を送っていたくらい、ラッチマンのこの価値観は彼にとってとっても根深い。
果たしてカマラが「ラッチマンが何者でも構わない、信じている、愛している」と告げたとして、彼がとうの昔に捨てている本当の身分について明かすとは思えない。
彼は身分を隠して好きに行動したいのではなく、はっきりと生まれ育ちを捨て、それらが与えてくれる価値も拒否して身ひとつで生きているので、カマラを妻にするために「実は僕も王族なんだ」って言ったかどうか…。
どちらかというとカマラにもそれを捨てさせたい、という男ではないかと思う。
でもカマラが捨てられるのは、女官長の身分がせいぜい。これだって一族への評判をさげるわけで、彼女には精一杯。
月城ラッチマンには、常にカマラへの愛が瞳の奥にあって、とにかくソフト。柔らかく優しげ。でも絶対に許さないから、この人にはかなわない、と思わせるラッチマン。
「まことの愛」の歌詞のごとく、ラッチマンがいつの日かもう一度、愛する人の心を知る機会が訪れるのか、結構カマラには厳しい道のりの予感。
あとほんとに、幕前と幕間のアナウンスのれいこちゃんの声が、天海祐希に似ている。
それにしても月組がいい
いやほんとに…、誰もかれもがよくできてて、全組中いちばんじゃないか?
わかりやすく、月組のどこがほかの組より優れているかって、2番手が若いことと、暁千星が歌えることですよ。
ありちゃんはほんとうによく、歌唱力を手に入れてくれた。彼女のようなダンサータイプは大体歌えないものだけれど、ありちゃんはよく頑張っている。ピガールで証明したとおり、下級生歌姫もいっぱいいるし、今作では踊れる子もいっぱいいるって証明したし。もとより群衆芝居がうまいので、芝居心がきちんと各人に育っていることが伝わってくるし。
次期体制はまだ未発表だけれど、誰がトップになってもいい。ただ、他組情勢ふくめて組替えと退団は色々ありそうなことが気がかりで、できれば月組については、今の組子はこのまま月組にいて欲しいなぁと思う。