隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

『「人生が最高に幸せな瞬間」を迎えている人』を視聴する気持ち

大変な人の大きな節目を、モニタ越しに観て泣き笑いしているこの感じ…
ちょっと罪深い気もする。娯楽だもの。

生観劇のきっかけになったスター

私にとって、小学生の時に出会ったタカラヅカなるものを、「チケットとって観に行けるもの」だという基本的なことを思い出して、そうだ劇場にいこう、と思ったきっかけを与えてくれたもの。
それが望海風斗の歌でした。
その曲はディズニーの「そばにいて」だった。
ご存知のとおり、タカラヅカは特定のジェンヌを追いかけたり、その人事を気にしたりすると、面白い反面しんどいことも多くなる。中の人に興味を持つとたいへんだ。
けれどもそれは、宝塚歌劇の楽しさの半分を諦めてるともいえたかなと思う。誰が何をするの、エトワールは誰なの、羽根を背負うの背負わないの…そういうところをやんややんやいうのが宝塚歌劇の魅力でもあるわけで。
望海風斗は実に魅力的なスターだった。

震えたトップコンビ

真彩希帆はときに、望海風斗を凌ぐ力をみせる人だと思う。彼女もまた厳しいタカラジェンヌ人生を歩んだからこそ、磨きに磨かれた美しいトップ娘役になった。
相手役が真彩ちゃんでよかった、と思える瞬間が一体なんどあっただろう。宝塚歌劇の歴史で、真の歌劇スターコンビは望海風斗&真彩希帆だけだろう。
スカステの思い出再放送で、昔の真彩ちゃんの映像をこのところたびたび目にすることがあったが、まあ同じ人かと思うほど、なんというか言葉を選ばずに表現するならブスなの。
でも「みにくいアヒルの子」なのね。確かに同じ人同じ顔なのに、今の姿と比べるとまあ、本当に野暮ったくて。間違いなく美女なはずなのに、みんなやっぱり成長過程はどこか野暮ったいのがかわいい。
この世で最高の相手の隣で相手役として立つって本当におそろしいこと。でも、だいもんの相手役が真彩ちゃんで本当に良かった。
最後の一瞬まで素晴らしかった。

最後の観劇で

3月末、見納めの東京宝塚劇場にて、私は下手寄り7列目あたりの良席で観ることができて、だいもんがそれは丁寧に視線をくれた。あのとき、間近だったので間違いない。
4月11日、千秋楽の望海風斗は、fff冒頭の登場シーンから「あれっ」とすぐに気が付くほどに、目のクマが深く、肌の張りや頬のこけ具合など、「削れて」いた。退団公演のトップスターはみんなやつれるが、あの、とんでもなく気力体力筋肉を使う舞台で、本当に命を燃やしていたんだなあと観てるこちらが震えた。
この最後の公演、最後の視聴は…
私にはそれなりにしんどかった。じっと見つめていることができずにどうにも持て余して、スマホ観たりしながらそわそわと視聴した。
最後の観劇では、それまでは最後のところ以外はさして気にならなかった、謎の女がルートヴィヒにしつこく死を迫っている姿が印象に残った。

そして、最後の最後、彩凪翔の姿になぜか一番涙がこみあがってきた。劇場でも思ったけれど、この退団公演での凪様の輝きは半端ない…。

あの大変な芝居1時間半(劇中の「人生は幸せだった」はかすれていた)、休憩中に化粧と衣装変えてのショー1時間、そしてさよならショーにあの長い長いご挨拶カーテンコール。
自宅でライブ配信で観てるこっちがソファにひっくり返るほど疲れるボリュームだったが、舞台上の雪組は最後の一瞬まで眩しかった。泣いて笑って、見送れた。

らしさ

最後のご挨拶で咲奈ちゃんを呼んで「明日から咲奈の雪組に出られないのが悔しい(大意)」という言葉に本音が混じっていて、だいもんがトップの道を切り開いた人気を支えたのはこの、ぶれないタカラヅカ愛なんだなあとあらためて思った。
誰よりも宝塚歌劇への愛が重いトップスターが、卒業する。このことが寂しくもあり、この人のために明日からのタカラヅカもどうか輝いていて、と思う。

最後に

決して望海風斗も真彩希帆も歌だけの人ではない。美しい人たちがけた外れの努力をして、けた外れの歌声を聴かせてくれたからこそ感動し震えた。
卒業後すぐに、望海風斗はエリザガラコンに出演する。スケジュールは仕方ないのだが少々興ざめだけれど、そこはご愛敬。
その先の進路は不明だけれども、たぶんきっと、歌声をまだ聴かせてくれるんじゃないかなと期待している。
またいつかそう遠くない日に再会したいと思う一方で、英気を養って、それから仕事だけの日々からいったん解放されてせっかくだから女にしかできないことも満喫してほしいと思う。
とにかく、幸せでありますように。







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