隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

国境のない地図はもう描かれない

先日、あの「国境のない地図」がスカステで放送された。麻路さきお披露目公演であり、1995年4月に収録された、宝塚歌劇団にとって忘れられない公演である。
この年の1月、阪神・淡路は未曾有の震災に見舞われたばかり。宝塚歌劇は、終戦時もそうしたように、このときもあらゆる覚悟をもって人々に娯楽をいち早く取り戻させることが自分たちの務めとして、必死になって幕を開けた。

幕開けの衝撃

白装束のような、純白のスーツとドレス姿のタカラジェンヌが並んでいる。
そして上手・中央・下手にグランドピアノ。
やがて下手から黒燕尾に身を包んだ新トップ麻路さきがピアニスト・作曲家として登場し、確かな技巧でもって演奏をはじめる。

「ピアノが弾けるジェンヌさん」のレベルを軽く超えた、麻路さきによる本物の演奏はやがてオーケストラと、さらに美しいコーラスと渾然一体となり、観客は、ベルリンの劇場の観客として、この劇中の演奏会「国境のない地図」へ、そして震災後に復活した宝塚歌劇へ、さらにはピアノの旋律と歌声の、被災地への鎮魂のメロディへ、様々な境を超えて拍手する。

理屈抜きに、当時を知る我々には心震える名シーンであると思う。

単なる感動には終わらせない娯楽度

冒頭にこんなシーン作ってどうなるかと思えば、そこから幕前芝居に移行して、新聞記者たちが口々に、長々と、アレコレと、説明してくれるのだが、なんかみんないい人。物語は主人公ヘルマンが演奏会で日本へ行く、となって、ドイツのお話を観ていたはずの観客を前に、急に松本悠里が舞いはじめる。
富士山をバックに、これまた鎮魂とか祈りとかをちょっと想起させられ、細かいことはどうでもよくなった頃に舞台上にわらわらとオカッパ達が出てきてあっという間に埋め尽くす。

そのまま、まさかの81期生初舞台の口上がはじまる。
ベルリンの作曲家の話はどこへいった?

初舞台生たちが例のごとく歌いながら扇で仰ぎながら銀橋渡ってお披露目を終えると、舞台上は帝国ホテルの一室。
演奏会で来日した主人公ヘルマンは、来日ついでにどうやらタカラヅカ観劇をして「いやぁ、宝塚歌劇は素晴らしい!」と、ホテルの部屋に帰ってきてすぐに、この来日公演の日本人コーディネーターを相手にひときしりヒビヤでタカラヅカをミタヨと感想を話す…物語は自然とドイツ人の半生に戻ってくる。
そしてやっと、トップ娘役が登場し初台詞である。

いまはもうない

シリアスな物語の筋を破綻させないギリギリで思いっきり「オッス!オラ宝塚歌劇!!」みたいな独自ワールド過ぎる演出である。
これ、宝塚しか観ないとか、ヅカ以外興味ないとかいう、宝塚歌劇に染まっている人ほど目が曇っててわからなくなる…というか気にならなくなるのだが、なかなかトンデモなことも、なぜか全部美しくカッコよく成立させている宝塚ワールドを強く意識させる作品なの。

最近の作品は、普遍性とか、破綻ないものとか、一般的なものを、みたいな、平均点をあげるような優等生志向だと思う(それをぶち破る演出家いっぱいいるけど)が、この作品の時代はまだまだ、色々あったよね、みたいな…。

ドイツの秘密警察の上司がトップ娘役演じる部下の脚にしがみついて追いすがるシーンとか、
外部がやったらいやらし過ぎるか失笑シーンなのだが、宝塚歌劇がやると、なぜかこのあと銀橋で悲しく歌うヒロインを肯定していく流れになる(観客の気持ちが)。

タカラヅカルール みたいなものが拍手ひとつにもあるように、なんだか、あー、宝塚って独特だよね、てことをやたら思い立たせてくれるのである。
こんな舞台はもう、新たに生まれることはないだろう。

辛い時代に継がれるピンクのレビュー衣装

一幕は辛い幕切れとなり、二幕の開幕は、華やかなパリのレビューで幕開き。このときのピンクのお衣装や頭のかぶりものは、そう、雪組ワンスの、あのレビューシーンの元ネタのような類似性を感じる。雪組ワンスの方が特大ではあるが。

新しい時代

ちょっと前にも「タケゾーサーン」と連呼されるえ、まじで?みたいな新トップお披露目公演があったとかなかったとか…
しかしこの国境のない地図というお披露目公演もなかなかどうして、色恋の薄い作品である。
トップ娘役の扱いがそれだけ後ろに下がっててヨシという時代であったかもしれない。
このお披露目はあくまで新トップスターのお披露目でありトップコンビお披露目って視線では作られていない。特に配慮されていない割り切りがある意味清々しい時代でもある。

それでもさすが白城あやか。どこにどんな風に出ていても素晴らしいの。

記憶に残る舞台

色々な意味で、人の心に残る舞台である。
そして、この時代この時にあって、宝塚史上最高といってよい完成度の、伝説の黒燕尾があったのもこの舞台。
ジェンヌたちによる自主補習に出るための自主補習があったという逸話もある、完璧なる大階段シーンは、いまだこれを超えるシンクロ率のものがない。真ん中で踊る麻路さきのしなやかさも、ああ男役は男になることではない、その男役というものの美しさを見せつけてくれる。

大羽根を背負うことのないお披露目公演であったが、本当に美しい。

そして、いまみれば

この公演で、なんで最後フィナーレのトップ娘役の衣装が、この前の星組ロミジュリの舞空瞳も着させられた、あの膝上のフリフリなんだろうか。有村先生の趣味か。

他にも本当にたくさん、近年様々な組の様々な公演で「アレ?なんかどこかでこんな感じのを…」というエッセンスの原液にまみれている「国境のない地図」は、いまみると実に味わい深い。

なお、お芝居のエンディングは「歓喜の歌」が使用されている。
曲の持つ強さ、普遍性を感じると共に、星組団体戦の強さのようなものを感じるとても力強い最後のシーンの歌声はとてもとても美しいハーモニーを奏でている。
個人的には力技のfff、情緒の国境って感じで、歓喜の歌のシーンは、国境のない地図のエンディングの方が好き。


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