隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

羽山紀代美先生の訃報と音楽学校110周年

そのニュースがあまりに個人的なものから拡散していたので、情報の取り扱いについて慎重になったものの…
残念ながら事実ということで、大変なショックだった。羽山紀代美先生。かけがえのない、唯一無二の振付師。


公式で何らかの告知があるまでは、と思っていたけれども、yahooニュースに、一般献花の場を設けると歌劇団が発表した、という記事が載った。
news.yahoo.co.jp

てっきり歌劇団のWEBサイトに何か出るのかなと思ったけれどもそれはなかったみたい。


私にとってのタカラヅカらしさは羽山先生の振付のことであったと思う。
そして、多くのジェンヌさんが特別な思いで「羽山先生の振付なんです」「デュエットがなんと羽山先生の振付…」「羽山先生がフィナーレナンバーを…」と嬉しそうにそれはそれは嬉しそうにお名前をあげる筆頭であったと思う。

私にとっての羽山先生名振付

と、ここで自分的お気に入りを上げよう思ったけれども、もうどれがどれやら、多すぎて。

でもふっと真っ先に思い出したのは、月組ピガールのフィナーレナンバー。珠城りょうトップ時代の名場面のひとつであり、妥協してないトップの運動量といい、ほんと何度見てもため息が出る名シーンであったと思う。音楽も最高にかっこよかったし。

少女時代の私がみていた羽山先生

あ、これもか!と記憶に残っている公演タイトルでは以下。

1990年:『ベルサイユのばら』、『ル・ポアゾン 愛の媚薬』、『ジーザス・ディアマンテ』
1991年:『ジャンクション24』、『紫禁城の落日』
1992年:『この恋は雲の涯まで』、
1993年:『ミリオン・ドリームズ』
1995年:『国境のない地図』、『バロック千一夜』

ああ、全部懐かしい。

タカラヅカタカラヅカたらしめるもの

私がそれこそ少女時代のころまで、タカラヅカを語るときは「女性が男役を…」「羽根を…」「青いアイシャドウ…」のこの3本柱だったように思う。形容するキーワードが。

最初の二つはいまだにまあ使われるけれども、青いアイシャドウ文明は衰退したなぁ…
昔の映像みるとうわ青いなあって思うけど、本当に目の青い外国人にも見える不思議効果で、当時を思い返しても特におかしいとも思わなかったっけ。

タカラヅカをほんとに好きになって色々観ていくと、タカラヅカらしさとは一言では言い尽くせないが、その立ち姿とかしぐさ、振付かなって気づかされる。まとめると「独特の美しさ」という表現に集約されるのかもしれない。

子供時代から、タカラヅカのまねっこして遊んだときにやっていたことは、「タカラヅカっぽいダンスの真似」であり「タカラヅカっぽい立ち姿とかしぐさのまね」であった。それらを作りあげていた振付の先生の感性は、今この時代においてもオリジナリティあふれていて、この時代においても「真似される側」の位置にある。

110周年

ちょうど先日、音楽学校創立110周年記念式典があったということで、大々的にニュースにも取り上げられていた。切り取られる映像は大地真央黒木瞳、あとちょっと杜けあき…だけどダントツに大地真央で(壇上にあがっていたとはいえ)、その場にいるの全員元スターなのに、やっぱりすごいぜ大地真央

ピックアップされていたインタビュー映像や、OGたちのSNSを眺めてみると、本当にみんなタカラヅカが好きなんだなあということと、この集団の一員になれた人間というのはやっぱりなんか人種が違うぞということと。
あるOGが、初対面の上級生OGからも自身の活動を「がんばって」と肯定・応援してくれると、常にそうだという感激のことばをアップしていて、ちょっとぐっときた。
さんざんお説教と否定とを浴びせあいながら切磋琢磨してきた仲間たちは、その努力の果てにおいて、同じ経験をしてきた者に決して余計な小言を言うのではなく相手を肯定しはげますって、もうかっこよすぎる。


本当に本当に、数多くの美しい女性たちの人生を「狂わせ」た宝塚歌劇。その象徴たる振付を生み出していた羽山先生の踊り、私はこれからも好きでいつづけるし、見返すたびに、惚れるだろうなぁ。




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