隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

幻と幻

正式に宙組新トップお披露目公演の東京中止と、予定組替えの中止が発表された。

そうだと思ってた。

まさに幻

このままお蔵入りになる可能性もゼロではないし、時間をあけて…、新トップの退団公演として仕切りなおされる可能性もゼロではないかもしれない。

私自身の印象や、いつぞや遭遇したマダムから漏れ聞く話に、そもそもこの新トップはメンタルが繊細なダウナー系タイプく(と、私は受け止めただけで厳密にそう評されていたわけではちょっと違うが)と言われているそうで…、
その内向きな気性+そもそも番手で忙しかった6年くらい+コロナ で、今年の初めからはじまる様々なスキャンダルについての関わりも疑念があるが今現在の精神状態がマジで心配。

お披露目や退団公演によくあるトンチキ系はある意味まあネタだが、今作は非常に芝居・ショーともに高評価だっただけに、因果だなあとも。

そもそもの隔たりってきっとあったよね

私が見て覚えているウン十年前のドキュメンタリーや、ごく最近のOGの会話や、私がまだ加入していた今年前半のスカステ各番組でこぼれる会話でも思うことには、トップスターを務める学年の上級生と直接会話する機会がある下級生ってほぼいないのでは、という。その雰囲気は昔っからあって。

スカステの、新公主演を取るような路線や、次期娘1にリーチかけてるような路線娘役にしたって、トップスターとまともな会話は、そのお稽古で、とか主演を組んでからっぽいことは会話から察せられていた。誰というわけではなく全般的に、組関係なく。

70余名の学級と思っていた各組は、実際のところ、70余名の小さな学校で、上級生やトップスターの学齢は最上級生、中堅が2年、新公学年の下級生が1年 って感じの中学校(中学って高校より上下きっついものだった、私の時代)みたいな様相。

そりゃ上級生やトップさんとは挨拶しかしないわね、と。そして、新公の最上級生、その中の委員長役ともなれば、絶対にやりたくないポジションだってことがよくわかる。

幻の組替え

おそらく史上初の、組替え中止。
これは、対象者に退団の話が進行でもしてるのでしょうかねぇ。なんともはや。

私個人の感想としては、最初の事件は些細なことだったんだろうと思う。怪我の度合いのはなしではない。人間関係の問題。被害者は、加害者と名指しされた人と今後も挨拶以上の関わりを持たないで済むのなら、よかったんだろう。この引き金を引いたのはマスコミだよね、と思う。弾こめたのはそっちでしょとマスコミは言うんだろうが。

この「もしも」は永遠に語り継がれる

もしもあのお披露目公演が予定通り千秋楽までできていたら
もしもあの組替えが予定通りおこなわれていたら

このもしもは、ずっと言われるだろうな。なぜって、人事にも大いに影響するから。でも人事どころか組自体どうなのよって言われている事態だものね。

学校や会社でいじめは起こる。ニワトリだって平飼いにして10羽にもなるととたんに特定の個体がいじめられる。群れの動物ってのは弱い個体に残酷。
群れたとき、誰かや何かを攻撃し上下関係を作りってのは、人間だけではない生き物の本能的ななにかである。

だから私は、組をなくしたところで、歌劇団をなくしたところで、問題は解消しないことを知っている。
だからこそ、絶対に個が集団を作り独自の権勢をふるうようなことを阻止するシステムが求められるけれど…。この世のどこにそれがうまく回っているモデルケースがあるのだろう。

うまくいっている組織は大体、その時のそのメンバーの相性がいいのだ。いいリーダーが現役なだけなのだよなあ、なんて…。

理事ってなんなのか

で、そもそも。何かと矢面にたつだけの理事長って、なんだろう。先日酷評された会見でもやっぱり証明されたが、こと人事にしても、実は意外と歌劇団何も考えていない説が濃厚で。
あの会見で歌劇団側が代理人弁護士を立てなかった理由は十中八九、
「やったことがある会見(御VISA様協賛公演のお披露目とかトップスター退団会見)で弁護士を立てた経験がないから誰もそれをやろうといわなかった」だと勝手に確信しているよ私。

そして私ならこの事態において、新理事を元宙組Pなんていう経歴持ったやつにはしない。宙組関係者には絶対にしない。たとえ優秀でもおもてに立たせない。
でも阪急はそれをやる。なぜって、幹部社員の序列で、2番手羽根背負ってたのが彼だからなんだろう。それ以外の配慮はないわけだ。

マジで、なんでですかねぇ…。

虚構

一体なにで、どう再スタートをきるのか。宙組のリスタートは難しい。
そして他組はこの事態に公に触れることなく笑顔で、足音たてずに現役トップが次々と去ろうとしている。はっきり口にしてもいいことまでしないあたりが、やっぱりいびつだと感じる。
「仲間が悲劇的な最期を遂げて悲しい!」と普通に、あたりまえのことをあたりまえにみんなで追悼してやればよかったのに。まだ遅くないと思う。

最近、OGをみても「あなたの時代のことは昔話になってよかったね」「あなたは逃げ切ったね」とそういう考えがよぎってしまう。





にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 宝塚歌劇団へ
にほんブログ村