感想として書き残さねばと思っていたのにすっかり忘れていた。
なぜプロローグがあそこからはじまったのか
そりゃ「死」の存在を描きたかったからでしょうが…
舞台のエンディングの「死」のシーンと時間軸がそろっていないので、お芝居のラストシーンが「ここで終わり?」となったね。
エゴン・シーレはスペイン風邪で死亡。妊娠中の妻エディトも別室(舞台上にはいない)で同じくスペイン風邪で死亡。それがエゴン・シーレの人生の終わりで、そのシーンからお芝居は始まる。
ここで描きたかったんは、全編通して登場する「死」なんだろうけれど。
結構な改変
私がライブ配信でたった一回、しかも一幕目うたた寝してしまっての観劇だからはなはだいい加減な感想ではあるが、彩海エゴンが「死と乙女」を発表したのは、ヴァリの死を受け止めてのこと、というようにみえた。
史実はというと、1912年に悪夢のような逮捕事件があり、これを助けてくれたのはヴァリ。一幕ラストの場面か。2幕冒頭、彩海エゴンがぶんむくれているのは禁固刑くらって、出てきたら大事な作品燃やされてというふんだりけったりな目にあったから。1915年6月にエディトと結婚。このときにヴァリに「君との関係を続けるための結婚だ」みたいな糞発言をしてヴァリから三行半を突き付けられ、彼女は二度と彼と会うことはなく従軍して1917年病死。
「死と乙女」は1915年、エゴン・シーレが徴兵される前夜、エディトと結婚後に描き上げたもので当初のタイトルも「男と女」とか「絡み合う人々」というタイトルで発表されたらしいので、この舞台での圧倒的な作品の意味付けとはまるで違っており、これは熊倉先生の素晴らしい改変物語化が効きまくった舞台作品であるということがわかる。
まあ、朝ドラの「らんまん」で美化されまくった植物学者の人生にいたはずの最初の妻の存在がドラマ上消されてたっていうくらいの物語化だってあるんだからこれくらいかわいいもんだろう。