ひっそりと、宙組から2名が予定通りに退団していったようだ。
卒業であったはずなのに。彼らに「卒業式」は用意されなかった。そのことが少し悲しい。
優希しおんさん、花宮沙羅さん両名の今後が明るい日々でありますように。
歌劇団のホームページをみると既にこの二人のプロフィールはなく、一方では亡くなられた生徒のプロフィールは残っている。扱いに配慮が必要過ぎて自分たちがどうするかという考えを放棄したのだろう。ご遺族になにかいわれるまでは、という方針とみてとれる。
そして時代は移り行く
いまのところの見通しは以下の通り。
花組:2024年05月26日 トップコンビ卒業
月組:2024年07月07日 トップコンビ卒業
雪組:2024年10月13日 トップスター卒業
星組:継続
宙組:継続
毎年どこかの組のトップが卒業して入れ替わっているものだが、久しぶりに3組もかあ という感じ。
星組だってぼちぼちなはずだが、さすがに4組同年入れ替えはないわねっていう調整は当初からあっただろうと想像する。
みんなどれだけトップだったの
本公演だけで数えるのが一般的なので確認してみたけれども、全ツや別箱なども数えると、みんな駆け抜けたねぇ…。
柚香光:2019年11月25日付就任、7作。研16退団
星風まどか:2017年11月20日付宙組トップ娘役就任5作、2021年7月5日付花組トップ娘役就任5作。研11退団
月城かなと:2021年8月16日付就任、5作。研16退団
海乃美月:2021年8月16日付就任、5作。研14退団
彩風咲奈:2021年4月12日付就任、6作。研18退団
トップからの本公演数もまあ、指標にはなるのかもしれないが、やっぱりこういうのって初舞台からの舞台数で眺めるものかなって気もしてくる。大変なのでやらんが。
みんなたくさんの期待を自分自身にもしていたと思う。そしてそのうちの何割かがコロナによってかなわなかったこともあったろう。それでも。
これだけ人がいると、どのような退団・卒業であれ、DSだの別箱だのバウだのあろうがなかろうが、他人と比較する必要はないのだから、それぞれのスターがたどり着いたゴールへと無事に向かっていってほしいなと思う。
やらないと終わる
トップスターや二番手といった、特定の幕においても0番にたてる立場でタカスペを経験したスターがほぼ卒業していくし、運動会という謎文化を知るスターたちも続々と卒業していくと何が起こるかというと、良くも悪くも別物になっていくということだ。
運動会に至ってはレアイベント過ぎて、毎回が新しいのだから逆にいつでも復活できるだろう。働き方云々を言い出した以上、タカスペについては、例えば例年5月とか6月とか、あるいは28様(にはちさま)になぞらえて2月か8月でもいいが、公演ゼロ月を作り、そこで1日だけ、2日だけのイベントという形にして選抜メンバのみ みたいなことにしないとお稽古との兼ね合いも厳しそうである。
スポーツやバレエのように宝塚にもシーズンのオン・オフを作ればいいわけだが、拝金主義の関西企業は最初からこの思想はなかったので、5組になったんだもんね~~。
咲ちゃん
で…。咲ちゃん。彩風咲奈。
生観劇であんまりまぶしい人がおるなぁ、誰だ?という流れから好きになったスターなのだから、思い入れはある。あるものの、シティーハンターと蒼穹のみというチケット縁の薄さで、印象が激薄。夢白あやとのコンビはいまだ生で観てないのだからさらに印象激薄。先日の千秋楽もど平日だからみてないし。別箱全ツ系も日程合わず配信もみてないし。
あ、FNS歌謡祭はやばかったなぁ、咲ちゃん他一同が一般芸能人を公開処刑してて、タカラジェンヌ美って半端ないなと思ったもんね。
そしてハリゴシ。作品後半の展開は好みがわかれるかもしれないが、冒頭からして、実に私の中の彩風咲奈っぽい感じが凝縮されていて、映像でしかみてはいないもののとても印象深く。その系統を感じた、夢白あやとのお披露目となったボニクラのあのポスターはすっごい好き。たぶん他のスターのポスター全部集めてもすっごい好き。夢白あやも、いちいちぴたっとくる役者っぷりで。
夢白あやは最初っから添い遂げる気などないというかその選択肢はない前提での就任で会ったことはほぼ確定路線であったと思うが、性根ギャル系(私のなかの夢白あやはコレ)ってある意味本人の根性を信じられるから好き。最後まで楽しみだし、さきあやコンビ、一度は生で観劇したい。
会見がかたるもの
自分自身のタカラジェンヌ人生の、最後の花道のはじまりでもある退団記者会見。男役ならば、路線男役ならば、さらにはトップスターに就任したものならば、ここで白いお衣装を身にまとって自らの言葉で語るという機会は特別中の特別であると思う。
そんな会見の場で、キャライメージと違って涙ぐむものや笑顔満開の人や、様々な素顔が垣間見える場で、彩風咲奈という人は今回、絶対に涙はみせられなかった会見だったのではと思う。
誰かにかけらでも邪な目で切り取られることのないよう、慎重に丁寧に誠実に、そんな印象を受けた。
彩風咲奈はいつでも信用できる。印象と本人の言動が本当にぶれない人だ。
たらればはないけれど
ここにきて、劇団員を「生徒」と100年以上もこれで通してきてしまったデメリットが大噴出している。
「かつては生徒、いまは劇団員」であればビジネスライクにできたが、生徒と呼び続けたがゆえに、音楽学校だけではなく劇団員になってもなおまだある種の幼さが印象付けられ、その責任が歌劇団に転嫁されすぎる傾向がもともとあった。学校や保護者が責められるのと同じノリで。
色々なことが内部でも不透明であろう、2024年。いくつかの公演がなくなったということは、そこで退団を予定していた生徒のうち、延期できない・したくない人たちが○日付退団という、いままで「集合日付退団」と言われていたかたちで、セレモニーなしでそっと去っていく流れができるかもしれない、などと想像している。
仮に本人も劇団側も、次の舞台公演で卒業させたい・したいと思っても、詰まりまくった退団予定者が1公演で10人以上並んだら、ちょっとねぇ…。
スポーツアスリートと同様に、大変な世界に生きるうえで、結婚などの予定や留学したいとか、そういう新たな夢とか、みんな色々な思いで駆け抜ける20代を、タカラジェンヌ以外の道を当然のように突き進んでいいはず。
だけれども、「生徒」と呼ばれる世界ゆえに、「好きなタイミングで退団できない」「決められたタイミングで『卒業』をせねばならない」という、そういう視点で眺めてみると実に…違った景色がみえてくるよなぁと。そんなことまで思ってしまった。