隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

2022年 ミュージカル「エリザベート」コンサート in シェーンブルン宮殿 の独占配信を観た

このトート、えっろ…は?惚れるわ、は?となった。

30周年の記念行事として、シェーンブルン宮殿エリザベートの登場人物たちが実際に起居した宮殿)の前でエリザコンをやったのかと思いきや、
毎年夏の恒例イベントであったとは。ウィーンの人も好きやのぅ…

コンサート?

日本でもエリザガラコンを派手にやっておりましたけど、それも配信でたくさん見たときにも思ったんですけど、ほぼ芝居で衣装も結構寄せるし、ほぼ演じてるし。
コンサートとは。
と思ったんだけど、この本家のコンサートもそんな感じで、広大な宮殿前広場にこれでもかーと観客を野外で集めてのコンサートで、後半にはガチ馬車まで出てくるし観客はそれにうぉおおwwwとなるし。

エリザベートはもう、お約束の古典という域に到達しているんですかね。だから美味しいところ(=楽曲のシーン)だけやるだけでもう楽しいんだわ。ほぼミュージカルそのままやってるんでは?と思っていたけれども、みんな脳内で完全再生できるから、前後の芝居の細かいところはできるだけそぎ落として、楽しいところ(=楽曲)でいいや!ていうことなのかな。
歌舞伎の公演でも、全幕やらない芝居だらけでかの忠臣蔵ですら、いくつかの場面はすっ飛ばしてやらないのが当たり前というシーンが何か所もあるし、全幕ほぼ滅んでいるけれども名場面の詰まったこの場面のみ繰り返し上演され続けている、なんて演目もざらで。前後を知らないから?と思いながら観劇することが多かったけれども、そこだけやっても大人気でそこだけで大満足!ていう域に達するほど、広く認知されていたという背景がまずあったわけでね。自分が知らないだけで。
時代が変わってそれも廃れてきただけであって。

エリザベートガラコンというものはきっと本国でもそういう感じなのだろう。全編ミュージカルとしてちゃんとやるのもまだるっこしい、夏の祭りの場ではキッチュと叫ばせろ!!みたいな…
ていうかキッチュ!てみんなでシャウトしていたよウィーンのひとたち。この、WOWOWで今回独占配信された映像は、
2022年6月30日、7月2日/オーストリア・ウィーン シェーンブルン宮殿
とある。今年みんなはしゃいだんだなあというのが伝わってくる大変見ごたえのあるコンサートであった。

当たり前だけれども

ほぼそのまんまであった、日本上演版と。いや向こうが本家だし当たり前なんだけれども。ただ、フランツ・ヨーゼフがシシィを見初めたシーンの、本来の見合い相手であった姉の歌は、日本版にはなかったような…?
この放送、字幕はこの番組用の日本語字幕がついているので、各楽曲の日本語訳も番組独自であったのでかえって新鮮で、原曲の歌詞の雰囲気はこうであったのかなど、驚きや発見が多々あった。
なかでもこの、自分のお見合いのはずだったのに妹が見初められてしまった、物事は計画通りに進まない~という場面での姉の独唱があって、
「3年間もお妃教育をしてきたのに」
という歌詞があったのね。こんな歌詞の歌をタカラヅカ版や東宝版で観た覚えがなく(東宝版エリザは生で観たことないけど)。あるのか?あったっけ??

いやあ、これ大事よねと心に残った。フランツ・ヨーゼフはその辺のボンボンじゃない、大国の皇帝になる人だったわけだから、3年かけて教育受けた女性を伴侶に選んでおけばねぇ…大事よねぇ、公的立場の高い人の結婚は、身分違いとかダメよ…不幸しか呼ばないわ、とシンデレラストーリーを大否定するようなことをしみじみかみしめる場面であった。

最初は不思議であったのに

トート役は短髪の金髪で全身白く、普通の恰好というのか、礼真琴版ロミジュリのロミオの最期の場面の白い衣装や、先日の礼真琴版王家に捧ぐ歌の白い衣装に近い、現代的でロックテイストで真っ白、て感じで、イケメンでナイスバディの俳優がつとめていた。登場シーンから余裕の笑みまで浮かべて、キミは俺に恋をしているのさ愛してるのさ ていきなり歌うノリ。
トー…えっと、元々はただの「死」という役であって黄泉の帝王だなんだってことではないのよね、という知識はあったものの、透明感があるチャラさってナニソレ素敵。

しかしこのトート…恐ろしい。
間違ってもトート役の俳優は決して、必要以上にフェロモンをまき散らすとか、なんかわざとらしいエロさで釣るなんてことはなく、実に品よく、不思議な透明感があって
、でも存在感なのか、男としてカッコイイというのか……これがシシィの妄想男子なんだとしたらシシィ、趣味が良過ぎる

ウィーンの本家エリザ。コンサート形式とはいえ役者たちの芝居や演技に関して、日本に輸入されて演じられている役づくりとのギャップはほぼ感じなかったのに、このトートに関しては、死の解釈ごと違っているんだと思った。
コンサートでは別に物語にそってトートという存在の見せ方が変わらなくていいわけで、最初からその本来の姿であっていいから、白なのかしら。

少年ルドルフ 子供がやるとなおいっそう

可愛い&せつない。これはとってもきゅんときた。おまけにうまい!!!!
あと、原曲でも「きのうぼくはねこをころしたよ」て歌うんだなぁと。ここで、タカラヅカ版歴代トートはそれぞれ、顔をしかめたり見守りの笑みをみせたり、ちょっとした芝居をみせたものだけれども、この本家のトートは無反応であった。小さな子にそっと寄り添う、薄い布のカーテンみたいだった。

この辺のトートの芝居というのか、魅せ方で、私はすっかりやられてしまった。

シシィの描かれ方

私がミュージカルエリザベートについて、楽しいエンタメなんだけれどもちょっと、針の一本分の嫌な感じ…がするのは、史実のシシィはもっとわりとろくでもなかったんじゃなかったでしたっけー!! と突っ込みたくなるくらいに舞台上のシシィの多くが被害者っぽい点への疑問がどうしても頭をよぎってしまうところ。
美しすぎるヅカ版シシィたちについて、ちょっと「悲劇のヒロインヅラするなよ」て思ってしまう。
けれども本家版は結構、子ども引き取ったくせに興味ねぇんだ みたいな直接的な台詞による表現もされていたし、あのミルクの場面もそうだし、フランツの裏切りの場面もそうだし、もっとしっかり生々しくって、彼らの国で現実に生きていた人として、決して瑕疵のないお姫様とはウィーンの人も思ってないんだわとわかって非常に面白かった。
理想的な品行方正が愛されるわけでなし、正論を訴える人が受け入れられるわけでなし。この辺は昨今の量産型創作物語のヒロインとは質が違うということか。

本家はイイ、ということがわかった

トートはシシィのための存在でほかの人と共有する存在ではないから、登場なりなんなりで、私はトートであるという主張を一切する必要ないんだよね。
この本家ガラコンのトート役マーク・ザイベルト (MARK SEIBERT) は、観始めたときは全然…だったのにどんどん引き込まれてしまった。
あとシシィ役は、前半は若い女優で、鏡の間のシーンからえらい貫禄のある女性になって、さすが…?お衣装が…?と思ったら女優がよりベテランにチェンジしてた。
貫禄あったの当たり前だった。

海外ミュージカル ではなく、海外にミュージカルを観に行く…そんな楽しくて贅沢な旅をしてみたい。ウィーンにね。


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戯曲が先かスターが先か

最近の舞台ニュースを観ていたら、エリザベート終演後だろうか、大輪のようなお花様エリザの勝負ドレス(例の白いふわふわの)と劇場内満員観客席との全体を写した、記念写真が掲載されていた。彼女とエリザは切っても切れないご縁の作品となった。この日本でエリザ役者といったらお花様。
誰にとっても東宝エリザ=お花様 になったな、と思う。その集大成という言葉によって今回が最後という感じが出ているけれども。
ダブルキャストの愛希れいかは、私にはあんまりエリザ役にはまるタイプではないように思うのだけれども、主演にふさわしい役者だから今後も出演しつづけるんだろうな。
華があるし集客力もある。
にしても、観客はエリザが好きなのかお花様のエリザならみたいのか、どっちなのだろうか。
果たしてエリザ大好き日本人は、エリザベートという舞台戯曲のことを純粋に好きなのだろうか。それとも「お花様のエリザ」が人気なのだろうか。

タカラヅカで女帝と呼ばれた近年のスターは第一にお花様。それは超長期の就任年数によるし、今映像で観てもやっぱり圧倒的なスタイル。
次に(一部で)女帝呼ばわりされたのがやっぱり長期でトップ娘役を務めた愛希れいか。

数年後、星風まどかが満を持してエリザ役者として、タカラヅカ東宝エリザへ降臨予定なのだろうか。愛希&星風のWキャスト?ありそう。

有名ミュージカルも、無名の小劇場ものも

情報もチケットも、相当がんばって自ら集めようとしなければ、帝国劇場で上演される大きなミュージカルは観ることができない。
そこを満員にしている観客が観ているのは、純粋に芝居なのかはわからない。演者抜きにして考えるのが難しいものだし。
しかしながら、タカラヅカに慣れた目で帝国の他、大作ミュージカル舞台の出演者を眺めてみても、結局のところ、主演をはじめとするメインキャストをとっているのは
大体同じメンバーのように見えて、なんだ、まるで●●歌劇団●組のようなものじゃないか、と。

小劇場のお芝居は知り合いがいるか、友達に誘われるか、何かしら「誘われ」みたいなきっかけがないとそもそも出会えない。
一度劇場に行けば大量のチラシによって、公演情報が手元にやってくる。その中のチラシのあちこちに元ジェンヌの名前を見つけたりもする。

タイトルやあらすじを観て、興味を惹かれて実際に劇場に足を運んでみる機会っていうのは、どちらかというと、観るこちら側の心身のコンディションとか気分と
そのお芝居のタイトルや内容がマッチングしないとなかなか…ないことなのではないかしら。

あっちもこっちも役者が客を呼ぶ

テレビや映画業界も結局、誰が出るかで出来上がる。人気アニメーションが映画化するときにキャストが声優からテレビ芸能人にチェンジされることは、当たり前のことだった。集客に影響するから。下手になるのはみんな知っているのにテレビマスコミが取り上げてくれない。アイドルが出てないと。
そういう現状は、タカラヅカをスターありきで観るファンよりもっとあからさまで、エンタメの物語や世界の作り手にとってはなかなかの壁なのではなかろうか。

ライジング!を思い出したよ

昔々の少女漫画、氷室冴子先生(大のヅカファン)原作、藤田和子先生(確かな画力と構成力に定評あり)作画で発表されたウン十年前の、タカラヅカをモデルにした歌劇団を舞台にしたアレ。
私が子供時代に読んだ時点でちょっと世代が前のマンガであったけれども、めっちゃ面白かった。あの当時の私はタカラヅカよく知らなかったけれどね。
たしか、舞台となる歌劇団タカラヅカとほぼ同じようなところで、ヒロインは帰国子女で、歌劇団のことを何も知らずに入団。
スターになっていくけれど、「男役至上主義じゃなくって、娘役をトップスター(主演)にして舞台をつくりたいんだ!」と野望を抱く演出家によって男役から娘役に転向。物語後半では、歌劇団を辞めて、一般芸能界の舞台へ出ようと挑戦していくが、厳しい世界に歌劇団で守られてたんだわ、と気づいたり、みたいな、

大まかには、タカラヅカとそれを取り巻く世界に忠実で、だけどマンガとしての大嘘(娘役をトップに、とか)を混ぜてあって。
「純粋に舞台作品を観るには、演者は無色透明のほうがいいのだろうか」みたいなことを考えていたときにこの漫画を思い出した理由は、印象的なシーンがあったから。

ヒロインが娘役に転向したあと、とある役で舞台に出た瞬間に拍手がもらえてホッとしつつ芝居する。別の日に同じ役を務めたライバルでお友達の娘役よりも自分のほうが拍手はもらえたが、客席の反応が違うことにヒロインは気が付く。ライバル娘役のお芝居では、劇場全体が彼女のお芝居に感情移入して泣いてたりしてたのだ。
入出待ちをしていた自分のファンに、自分の舞台のことを聴いてみると「●●さんが出てるだけでうれしい!」みたいなことを言われる。
ファンの純粋な自分への愛情を感じつつも、それって、自分の芝居やダンスの質とか内容は関係ないんだということでもあって、ジレンマを感じる という…

この漫画、調べたところ1981年から連載されていたマンガ。昨今議論されている問題って当時からマンガでも描かれてた。

愛がなければ

想いが強くなければ、舞台への愛情や商業演劇の未来を思わなければ、普遍的な戯曲を、演出を世に出したい などとは思えない。
私はかつて、友人が出演しているというだけで、全く興味がなかった某演歌歌手のお芝居&ショーという公演を観に行った。
出演者の取り扱いでチケットを取ってやれば、1枚ごとに友人にバックがある、枚数をさばかねばならないチケノルマよりこっちの役者扱いってのが私の友人知人の舞台関係者からはよく聞くやつ。半分以上義理だったけれどそれでも行ったのは、場所が明治座で、明治座って一度は行ってみたいな、なんていう気持ちで。

しかしこれが、めっちゃオモシロかった。いまだに思い出せる舞台のひとつ。あのスゴイいい塩梅の、一部のお芝居。ぱっと華やかになる二部の歌謡ショー。そこに出てくるゲスト歌手に、バーターで出てくる事務所の新人歌手まで。客席は常連が多いのか、みんなわかってる反応で。

私は気が付くと、無邪気に舞台を楽しむ観客のひとりだった。真ん中にたつ、本公演の看板である演歌歌手のことは名前しか知らなかったけれどもとっても楽しかった。
これは、公演名にもなるような大物演歌歌手というスターと、それを推すシニアファンたちによって成り立つ公演であったけれども。私の感動はそれらの関係の外にあった。

そんなこともあるよね、と思う。





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『Look at Me』を浴びてきた

先日。
望海風斗 20th Anniversary ドラマティックコンサート『Look at Me』を観てきた。
イープラスで当たったんだっけな。3階席の隅っこだったので、余った席が幸いにも流れてきてくれた…。
しかし国際フォーラムの3階席はストレスなく観られた。もとより歌メインなので聴ければいいかなって。でも後ろの席だったからなおさら、他のお客さんの後ろ頭の様子がわかって、みんなが(私も)一斉にオペラグラス上げるところがおんなじだったりしてね、あれはたぶん舞台上からも分かったと思う。

歌は圧倒

やっぱりこの人の歌はすごい。今更実感するけれども、あの生歌を聴けたんだよねそういえば…感動……。
そしてさらに、ブロードウェイミュージカルの名曲を披露した場面では、昨年の退団後初のコンサート『SPERO』では見せなかったところまで、大胆にかっこよくやっていて、いやーさすがやと。とにかく美しかった。
声は音域が広がったというのか、確かに歌い方は変わったのだとわかるし高音から低音域までより幅広くより自由自在になったのだなと。
高音も低音も中音もすべて美しかったし情感豊かであった。

主催側・事務所の希望なのか?たくさんの凝った演出

ぶっちゃけマジで途中イラっとした小芝居担当、新人AD役(かわいそう嫌われ役)。序盤はまだいいんだけど、展開上、だんだんとお愛想で笑うのも少々その…、お前何様だよ感が強すぎて…、おひっこみあそばせ、と思ってしまう。
「やりたいことは?」→衣装チェンジしてすごい歌やダンスやらを披露→こっちは大感動→AD役が出てきて「よかったけど…それがやりたかった事っすか」と否定的な展開でいうので、さっき聴かせてくれた見事なパフォーマンスを観客として揺れ動いた感動の気持ちごと否定されるというか、そんなもんでいいんですか?て問われる感じが徐々にイラっときたのね。

ファンはちっとも、望海風斗に対して「あなたのほんとうにやりたかったことはなんなのか?これでいいのか?」などと問うたことはない、と思うのだけれど……。
もし90歳くらいのどう考えても死に際が近い歳の望海風斗にそう問いかけるならば、やり残したことやったるわい という流れになり観ていてもまあ同感同調できるけれども。

大体、OGが卒業後数年して「芸歴20周年」ていわれるとぽかんとする。私はする。当然、初舞台からプロとしてのキャリアを積んでいるんだから何も間違っちゃいないのだが、歌劇団からフリーになってほんの数年のタイミングに彼女たちには芸歴20周年がやってくるので、こっちは「卒業」の言葉に惑わされて、いやまだ卒業したてでぴっちぴちの…なんて勘違いしてしまっているからね。
ともかく、これまでと同様、好きなことをやっていてほしいのである。だから今回の新人AD演出は、私には途中から邪魔くさかったな。

せっかくちょいと早めに20周年と銘打っての舞台なのに、この方向でのお芝居からの『Look at Me』でほんとによかったんか…?もっとチヤホヤヒロイン演出でもよかったと思うぞ。

そういえば、歌手にならなかっただいもん

ブロードウェイミュージカルの名曲をパフォーマンスとともに披露。そのなかには、私にとって思い入れの強い「キャバレー」があって、とても嬉しかった。
昔々、来日公演があったとき観に行ったっけ。アラン・カミングが出演してたやつ。

それからちょっと泣きそうになった、邦楽の懐メロカバーの曲で、特にぐっと来たのがいくつか。

この辺で、そういや、彼女は歌唱力抜群だけれどもオリジナルのCDを出すとかっていう歌手活動には今のところいかなかったんだなと今更ながらに気が付く。
ご本人の嗜好としてもミュージカル・舞台活動メインなのかな。

この舞台では、これまでの活動を振り返るようなもの、そして、歌劇団卒業の活動のなかで彼女が出会った役のものなど、様々な楽曲が、様々な衣装でもって披露された。
ここまで衣装チェンジある舞台はなかなかないのかも?単純なことだけれども、衣装チェンジってなんでこんなに嬉しいのかね。
ただ中には、遠目にはでかい黄色い●に見えるぞみたいな(オペラで観ると大変凝ったデザインのワンピースであった)ものとかデコラティブなものもあって、飽きなかったけど謎な服もあった。まあせっかくのステージだから非日常なお衣装でいいと思う。

休憩なし1時間半

事前に時間を把握していなかったが、休憩なしで大体1時間半くらいだった。集中力と尻の両方が切れる前で自分としては大変よかった。長くてもねぇ…観るだけなのに体力が…。
ただ、楽曲選びって今後どうなるのかなあとも思った。こういった組み立ては今回が最後だろうか?さすがに3回目もあるとなると、どうしても似通ってしまうのでは。
ファンが確かに聴きたがるのも、ブロードウェイの名曲とヅカ時代の名曲に偏ったりするんだろうけどねぇ。
あとヒットソングのカバーも楽しいんだけどね。なんともはや、こちらも欲張りになるばかりで難しい。

望海風斗は美人だ

今回一番感じたのはこれ。この人は本当に美人だなあ、と。
89期あたりというものは、OGの活動のこととか、人生の今後とか、たぶんいっぱい、悩もうと思えば悩みきれる過渡期のお年頃である。結婚はどうであれ子供を持とうと思ったらリミットもあるしね。かといって彼らの業界のお仕事チャンスは、前髪しかない。つかみ損ねたらもう回ってこない。
どんなふうに変化していくんだろうか、そんな来し方行く末を妄想したり、しなかったり…大変に感慨深い公演であった。

そしてやっぱりだいもんの歌はいいな、と。


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宙組ズカロー劇場をやっと観た

演出家の野口氏が自分もコブラのコスプレしてメディアに出るのはずいぶんとまあ、ビジュアルに自信あるんだなと感心しましたよ(作品愛だとはわかってるけどスゴイ)。
それぐらい、やっぱりマカゼにしかできない作品だったなと…95期?ムリムリ。立ち絵の大きさが必要だもの。そういう作品であった。

そもそもでいうと

ハイローって全く知らなかったんだけど、タカラヅカみたいなもんなんだなと解釈した。「LDHの存在の知名度は高いけど個の名前まではわからずハイローは知らない」「タカラヅカ知名度は高いけど今誰がいるとか観たことはない」ていうのがソックリな状態のそれぞれのシマ。

喧嘩グループが5団体もあって、その紹介だけで時間がかかるよな…と、初見ながらすぐにそこが気になった。まさか、桜木みなとが中盤さしかかるまで物語に出てこれないとはね。とはいえ実際のところこれ以上、第二弾などの展開は無理があると思った。

殴り合いの果てというのは、オチが弱い

原作のハイローがどうなのか知らんけど、喧嘩の果てに何があるのか、弱い……。
大勢で殴り合って、で? そもそも男子が好きな喧嘩(殴り合い)ってオチはどこにあるの?逃げたら終わり?動かなくなるまで殴れば勝ち??

これがやくざ抗争であれば殺傷能力の高い銃剣持ち出して相手の組をつぶして彼らのシマを奪う理由がはっきりしている(カネと利権)なので、殴り合うことに利益があるが、ハイローというコンテンツは、そういうやくざジャンルとは一線を画すわけですよね。たぶん…。実際、肉弾戦だった。

争いの火種について、「隣」というだけで気に入らない・隣り合っただけで殴る理由がある てのはまあ、わかる。男子中高生のやんちゃなのってそういうものだった。メンチ切るのきらないのって。喧嘩したいから喧嘩するみたいな。

荒廃した世界の抗争が激化してるエリアでぶつかり合ってる連中… そこにいろんなドラマを作りやすいのもわかる。だから原作LDHでは色々作品展開できるんだろうし展開して広げたいからそういう世界観で作っているんだろう。今回タカラヅカとコラボというのは非常に面白いコラボであったし、とってもかっこよかった。
ただ私が弱い(もったいない)なと思ったのは、舞台上で大量の役者が殴り合いシーンを演じても、もうこれ以上のものは展開できないよね と。
今回のズカローは、抗争には直接関係のない「カナが死ぬ(※登場時点でわかっていること)」てことに主人公コブラが立ち会うという前夜ばなしだからなんとかなったけど、これ以上はもう…。

オバチャンにはこの殴り合い物語のオチってなくね?という点がちらつき(殴りきって勝った結果、殴らない生活がやってきてめでたし とかいうことにはならないのがもうわかりきっている)、これ以上のコラボはもう難しいだろな(新展開ができない)という感想を持ったが、それは今回のズカローが舞台ショー化として十二分にやりきっていたから ということでもある。
このズカローは最高だった。だが次はないな、と。

一番よかったところ

各組がそれぞれのカラーでどーん!と出てくるところはどこもかっこよかったけれども、特に気合を感じたのはダルマ一家の、和傘と大太鼓のシーンでしょう。篠笛ですかね、超かっこよかった。しびれた。
そして、じりじりと、本編にいつでてくるやら心配になるくらいだった桜木みなとのグループの登場シーンの楽曲とダンスは、本公演最も力がはいっているシーンその2であった。

全体的に、普段舞台であまりやらないタイプのダンスがたくさんあって、なんていうかみんな生き生きというのか、楽しそうだな~なんてちょっと思った。こちらの贔屓目ではないはず。

誰がキラキラであったか

ライブFWMではこのズカローのプレお披露目があり、そこでキュンキュンにぎゅんぎゅんしたのはホワイトラスカルズ。ようはキキちゃんの出来上がりの良さ、キャラとの親和性。キャーカッコイー!!となった。本公演でもそれはそうだったのだけれども、ぐっときたのは 桜木みなと。
なんか身体弱そうだけど大丈夫なの? ひたすら歌とダンスが良かったという意味で、物語としてはあんまり活躍できなかったかな。あの荒廃しまくりの街もなんなんだろ。

非常に目立った存在であったのが、ヒロイン潤花であることは間違いないが、まだ最初の台詞前、群舞の段階で、後姿が妙に魅かれる子が一人いて、誰だろう?とオペラで追っかけたところ、これが山吹 ひばりであった。群舞のなかで、背中だけなのにちょっと発光していた。びっくり。

あと、これはショーでも気になってあとでチェックしてしまったけれども、やけにキラキラしていたのが鷹翔 千空だった。こんなに魅力的でしたっけ…。
ショーのほうがもっとキラキラしてた。あとショーでのメイク、ソラカズキ風味があった。前からだったっけ?ハテ。

他、つくづく美人だなと思ったのが水音 志保。あの髪型だと、遠い席のオペラグラスではイマイチ誰?となったのが天彩 峰里。
あちこちで、目立つのがいるというか向こうからこっちのオペラグラスに入ってくるぞ、という勢いを感じたのが瑠風 輝。これで卒業となる留依 蒔世はまだまだ、力を持て余しているような、もんのすごいポテンシャルであった。


宙組公演を観ていて、これまではジェンヌの名前と顔があんまり一致せず、誰だっけ、となっていた子も今回はピントが合ってきた感じで面白さが増した。
あと、確実にパワーアップしてるなこの組とも。トップコンビの退団発表があって、内部も色々動くことになるのだろう、このメンバーの公演は今回限りとなるしやがてまた異動もあるはず。なんだか全体的なポテンシャルがとても高かったし、あとちょっとしたシーンでのコーラスのうまさはやっぱりダントツ。

いま、観劇初心者に一番おすすめしたい組は、この宙組だなと感じた。




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月組ギャツビーをやっと観る

月組。生観劇を初めてチケットが全く取れなかった。観たかったのに残念。
でも配信がある有難さ。
映画館でのライブ中継は興味がない(気持ち的にちょっとめんどい…)んで、自宅で観られるありがたさにすっかり慣れてしまった。

昔々、私が誰のファンだったかといえば、そう杜けあきNHKで時々やる中継でしかタカラヅカを知らなかった子供時代に、記憶に残るスターさん。
その杜けあきが主演したギャツビーのリメイク再演、生で観たかったけれども今の時代にギャツビーといわれるとディカプリオがまず思い浮かぶ。
少し退廃的で華やかで、貧富の差があって、みんな大好き禁酒法……

美しいけれど

観てる途中では杜けあき主演が初演の作品であったこともすっかり忘れていたんだけれども、途中で「これ雪組っぽいな」って思って、あ、そうやもともと雪組作品じゃんね、と思い出し、でもあの当時そんなにこういう作品イメージが似合う組ってわけではなかった、当時はまだまだ「和物の雪組」の色のほうが強かったはず、と思い出し
でもそう、望海時代の雪組作品に似たようなんあったな(アルカポネとかワンスとか)だし、主演月城かなとは雪組育ちだし、最後の幕前あいさつで「こんなに離れがたい役ははじめて」という熱い言葉にもあるように、実に、月城かなとにカチッとはまる役であったというか…どっちかっていうとご本人の言葉通りやりたかった作品なんだなって。
演じてたちがこの作品にハマっていった作品、なのではなかろうか。

男側の執着が強く、女の方は、愛してんだかなんだかよくわかんなくって、てのは小池先生の女性観なのだろうか…と思うくらい、またこの描き方か、とちょっと思う。
一方で男(役)の心理は明確にはっきりと執着心も含めて愛ゆえにとわかりやすくかっこよくみせて、ヒロインの心理は玉虫色にみせるあたりが、女だらけの観劇者に対して受けることをわかってる手法…とも思える。

ダルレークっぽくもあり

月城・海乃コンビで、男が一途でちょっとアレでイケメンだからOKな感じがあって、女が美しくってでも愛が揺らいで…てのはダル・レークの恋をちょっと思い出す。
ただキャラも感触もちょっと違う。
この舞台でどう描かれていたのか、この千秋楽でしか観られていないので思い出せないけれど、2013年映画版(ディカプリオ主演)のWikipediaによると、重要な一文があった。
「ギャツビーは、デイジーが逃避行を望むと落胆し、彼女の正式な離婚を希望する。」

芝居を観ていてもこれを感じたけれども、多少の無理無茶をして己の社会的地位を引き上げることに成功したギャツビーはただただ、デイジーを手に入れるのにふさわしい自分になるために危ない橋も渡ってきたわけで。
再会したデイジーはそんなギャツビーを、裕福で平和で申し分なく退屈な日常の逃避行先として扱ったのよね。最後の薔薇を投げるところの芝居のそっけなさは、デイジーにとっては元カレ(しかも少女時代の初恋相手)が素敵になって現れて、あの頃できなかった恋(という名の情事)も無事回収、最後はとっておきの気まずさ(事故の責任)をひっかぶって彼はまた彼女の人生から消えて…。

デイジーが象徴するアメリカの富、トムが傲慢な特権階級のアメリカ大富豪そのものとして描かれるこの作品だけれども、はっきりいってギャツビーがデイジーに惚れたのって、デイジーがとびきりの美女だったからよね。生まれ育ちが貧しかったギャツビーにとって、デイジーがトロフィーでなかったとは言えぬ。

デイジーは何を失ったのか

初恋も不倫というかたちではあるもののある種の成就をして、世間がうらやむ夫もおり可愛い娘もいる、なんだかんだ幸せな女。
海乃美月のいいところはこういう女を実にうまく演じられるところだよね~。すべてのシーンで、海ちゃん演じるデイジーは賢しらな感じが全然なくって、でもアホっ娘でもない。考えるのをやめた裕福な妻そのもので、これを褒めるうまい言葉が見つからないほど素晴らしかった。
たぶん将来白雪さち花ちゃんが演じていたお母さまみたいなマダムになるんでしょう。実家ともなんだかんだうまくやってそうだし。現代人からみてうらやましいくらいよ。

トムというマッチョとかニックという無味乾燥な男とか

鳳月杏が演じると何もかもがイイ。WASPってやつだよね、トムは。
愛人の扱いはひどいけど、結愛かれん演じる踊り子?のヴィッキーが彼に誘いをかけ、楽屋までやってきてヴィッキーの男にカツアゲされるシーンの対応もとってもスマート。ヴィッキーに恨み言ひとついわずに、出すもんだしてサッと去っていくのは彼のカッコよさでもあり、ヴィッキーや、愛人マートルのことも路傍の石くらいに思っている表れとも思う。道端の犬や猫には、人ってやさしくなれるものでしょう。

うまいうまいという評判をきいていた風間柚乃ニックはその通りうまかった。観ていて何も引っかかるところがなく。思えば彼女は、ピガールの弁護士はちょっと美味しいところありだけれども基本的に、桜嵐記でもロマ劇でも今回も引きの芝居というのか、難しいわき役が多い。風間柚乃は路線として早くから注目と抜擢を受けているけれども、だからこそここからのジェンヌ人生はより難しく険しい道と思う。引き続き注目しちゃうな~。

踊るまゆぽんと月組男役たちと

月組は下級生まで名前がわかったり顔がわかる子が多い。でも一番中堅が粒ぞろいでイイ。まゆぽんが真ん中で踊る男役のシーンよかった~。
彼女は素晴らしい役者さんなので今後も様々なところで活躍するさまを見届けていたいが、とりわけ月組に出演していると嬉しくなってしまう。今回、晴音アキさんが95期で卒業、月組はトップの月城かなとだけになる。そういう公演にまゆぽんが出演されたのも嬉しい。
にしても、すべてを書ききれるものではないが、夢奈 瑠音、彩海 せら他、他、他、やすちゃんれんこんるおりあ…てらくん…からんちゃん…ぱるくんにうーちゃんにせなくんに…他、他。皆あらゆるシーンでよかったというかとってもレベルが高くてクラクラした。

娘役たちも

ヒロイン以外で注目したのは、新人公演の白河りりちゃんが出色の出来であったというマートルという役。これまた難しい女。
私にとって、天紫 珠李は優等生イメージが強い。マートルはしかし、なんでその夫と結婚したかね……。出の歌はもっと艶っぽくてもよかったと思うけれど熱演だった。
クラブシンガーはいちごちゃん。めっちゃよかった。一方で路線であるきよら 羽龍は悪いところはないものの、この日は燃え尽きていたようにも思えた。
本公演で退団する晴音アキちゃん、そして夏月都さんの二人。夏月さんは安定の乳母的ポジション。まあうまいよね。
どちらも素敵な娘役さんで月組ごと好きであったので、卒業するさまはほろりと泣けた。
同時に卒業の佳乃百合香ちゃんはちょっと前のスカステ番組に出ていたっけ。あれが餞別かな。かわいい声でビビる子。日常生活もあの声なんだろか。存在の太い京女になってほしい、是非。

一本モノだけど

役が少ない…わけではないと思うのだけれども、どうなんだろう?配信では追いきれないジェンヌさんがいっぱいいた。千海 華蘭はどこにいるだろう、蓮 つかさはどこにいた?
英 かおと成分が足りない!蘭世 惠翔もどこにいたっけ、とか、そういうドコドコ?の連続であった。
あちこちに出ていたはずなんだけれども、オペラグラスのように配信画面はくるくる動くでなし…この辺は仕方ない。
ただ、70余名の大勢の舞台を観るということはつまり、観客が見つけに行かないと…ほとんどの役は観られないということだなあとも感じた。画面越しの観劇である以上割り切らねばならない。観たいものを観るためには劇場へ行かねばならぬ。
不満といえば、フィナーレ。退団者が全員娘役なのだから、トップ娘役と揃えて娘役総踊りをしてくれてもよかったのに。

この千秋楽で最も印象に残りかつ、たぶん一番のシーンとしてあげるならば、ニックが桟橋でギャツビーと出会い、月城ギャツビーがくるりと振り向く、そこ。
その背中から振り向きざまの顔、あそこは演者月城かなとの命がかかってたと思う。

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やはりファン心理は手ごわい~「添い遂げ」が「美しい」とかついつい思ってごめんね

二度とそのチャンスはない、トップ娘役という貴重な立場をあっさりと退く潔さが大絶賛中の潤花。
記者会見の映像が観られていない現時点では、SNSの反応は「真風さん大好きだからなんだね、えらい」となっている。功罪あるなと感じた。

「あの」星風まどかの後任であった潤花

潤花のトップ娘役は確実視されていた。それくらいの入団から爆上げど本命娘役。それが育った雪ではなく宙でトップになることが見えた時点でファンはざわついた。
彼女がどうのというわけではなく、雪組も代替わりが見えていた時期のことであったからこそ、自組であがらないことに憶測を呼んだけれども、結果として、各トップの特性や、たぶんマカゼの卒業計画(そして各組の上演計画)に合わせて、各組、よい組み合わせを劇団側が検討した結果のことではないかと、今ははっきりと感じられる。
マカゼ卒業が007だもの。「ボンドガール」は、より大人っぽい美女が望ましい。潤花はぴったりである。

前任星風まどかがこれまたスゴツヨパーフェクトトップ娘役であったがために、潤花が組替えからほぼすぐにのトップ娘役就任であったがために、潤花がとれる対応の最善手は、宙組とそのトップスターへの心からの敬意と忠心と愛。それが潤花持ち前のキャー!感と相まって、真風ラブなトップ娘役キャラが爆誕

このキャラは大いに受けたし組替え後に彼女のファンになる人は増えたし、実際舞台を観てみて、トップ娘役のキャリアを重ねるにつけ潤花の大輪の花っぷりは素晴らしくって、私自身もとても彼女のことが好きになった。
おそらく多くの娘役はトップ就任時に相手役のトップスターの任期に合わせて卒業することを意識するか決めるかするだろうと思う。少なくとも何も考えない子はいないはず。潤花がトップ娘役に内定した時点でどうであったかは不明だけれども、ファンから観ると彼女はもう、真風涼帆以外と組むなんて??みたいなことになってしまった。
それくらい彼女は現在の立場でキラキラ キラッキラに輝いていた。

私の一番お気に入りの潤花は

ファンから「添い遂げ」といわれるような雰囲気・潮流があるからこそ惜しまれるし逆になんで残留なのといわれることにもなるし、早くても遅くてもいけないのが娘役トップの卒業。潤花はたぶんファンから見て最高に惜しまれる状況で卒業するから、いいんだと思う。
ただ未完であるがゆえに、やりきった感のあるマカゼに比べるともったいない感が残る。彼女に限ったことじゃないしどうぜ芸の道は生涯未完だろといえばそうなのかもしれないけれども、それにしても、もうちょっと見たかった感が強めの退団発表となった。

私がお気に入りの潤花は、宙組公演 『FLY WITH ME(フライ ウィズ ミー)』での、あの制服っぽいノースリーブのワンピ?姿!
本公演では珍しいあの普通服っぽく現代っぽく、かといってスカステでみるフェミニンワンピとも違うあの飛行機のクルー風スカート姿の、どちゃくそ美人ぷりよ。
あとあの北海道の旭川観光大使就任の記者会見での姿。艶っぽくていい女で、とても美しかった。
タカラジェンヌに囲まれている普段の様子より何倍も美しく見えたのは、タカラジェンヌがみんな綺麗だからなのかな。

ご本人の「今でしょ」でいい、けれど

劇団の、数年先までの計画にそって劇団員であるジェンヌたちのうち、トップやトップ娘役、そこに内々定(本人にもまだ伝わらないような段階)にあるような中心メンバーたちは、ご本人の意思だけではなく自分のキャリアを俯瞰しなくてはならないこともあるだろう。
何よりタカラヅカが特別な舞台であり、10代の子供たちが受験し育成を受けて入っていくという特殊な舞台でもある。これからますます、個の意志と好悪がより尊重されていくであろう時代にあって、団体戦であり団体芸を追求していく舞台芸術の、その中のひとつの完成形であるタカラヅカを構成するタカラジェンヌたちが、己という個よりもタカラヅカの世界観を優先して舞台人として生きてくれるのだろうか。

最近、400年以上続く歌舞伎という芸能がいよいよ、あと10年もしないうちに、最後の昭和の名優たちが舞台を去らざるを得ないことになる。その後はおそらく、それまでよりひと回りもふた回りも小さくなる予感がしている。
タカラヅカがいつの時代まで残るかはわからない。けれど、こんなに若く美しい人たちが輝いている世界なんだなと、それが貴重なことだなあ、なんてことまで、
今回の、一つの区切りとなる宙組代替わりに思った。
潤花のことばかり書いたけれども、むろん彼女が輝けたのは宙組マカゼ体制であったからこそ。潤花のフィナーレを通して、宙組と、マカゼ体制の偉大さに感じ入った。



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女が8人もいて、幸せなだけの物語なわけがない

「8人の女たち」ってタイトルが面白そうで、ずっと気になっていた演目。でも観たことがなかった。
いつか観てみたい、そう思っていたところにタカラヅカOGの、おまけに実力ぞろいが揃うという舞台、これは見逃せないと思ってチケットを申し込んだら手に入ったのが関西上演の分。久しぶりに新幹線で遠征してきた。

ミステリ仕立ての芝居

私はミステリが好きだけれども、芝居で推理劇みたいなものは難しいのか、客席の理解力にばらつきがあり過ぎるのか、今も昔もちょっと工夫が必要みたい。
この「8人の女たち」はちょっとした(ちょっとどころではない)事件があっという間に起こり、館に閉じ込められた女たちが次から次へと「ちょっとした」嘘を暴露しあったりなんだかんだ……飽きる暇がなくあっという間に結末へ突っ込んでいくが、女というしょうもない生き物の滑稽さだったり、平気な顔して嘘をつく×8人…みたいなところも、まあ面白い。コメディ…喜劇で悲劇で。最後は余計な余韻がなく幕が下りるけれども、もしあの先にも彼らの人生が続くのだとしたらちょっとやりきれない。
そんなところも含めて、愛される芝居なんだと思う。

私はBBCポアロやマープルが好き

そんな私にとって、湖月わたるの声、久世星佳の芝居、真琴つばさのあざとい動き(あとで理由がわかる)がもうまるで、良質な吹き替え海外ドラマそのものみたいで実にわくわくした。この上級生3名が最初から最後までなんというか、BBCの英国ミステリドラマ感をまとってくれるので、取っ組み合いが繰り広げられても土下座がはじまっても品がいい。

上級生3人、すべてがよかったけれども、エリザガラ的な舞台でみる湖月わたるよりも、ずっとずっとこの上品な上流階級マダムの湖月わたるが美しくってよかったと思うほど鮮やかな変貌ぶりでさすがとしかいいようがない。でこの、女主人な湖月わたるよりずっと終始地味な、古参の使用人役、久世星佳は、最初「えっとこの初老の方は誰だっけ」と名前が思い出せなくなったくらいに、少しの無駄もなくそのままでそこにいる感じがまあうまくって。なんだろうアレっておもって、幕間に買う予定のなかったパンフを購入し読んでみると、久世星佳の役づくりや舞台づくりはまさに、月のようにほかの人の輝きに反射するようなものなのだったと納得。

冒頭からおちゃめなところをみせた真琴つばさも、全身立ち姿をみせられると相変わらずのスタイルの良さ。終始ことばづかいが丁寧で、この物語の毒親その1なんだけれども悪意がないというたちの悪さがその上品さにもあらわれているというか、マジで娘のギャビー(湖月わたる)とオーギュスティーヌ(水夏希)にとっては呪いなんだろうなと。

OG上級生組と下級生組の間に位置をとっている水夏希。正直、現役時代はあんまりみていなくって印象にないんだけれどもこんなにうまいんですね…。
エキセントリックヒロインを完璧に体現していた。水色タイツ似合うね~。

元娘役ってスゴイ

そう、8人の女たちって絶妙な塩梅で、ちゃんと全員ヒロイン。皆台詞多いしマジかってくらい全員よくしゃべるし。
そのなかでも一番身体を使ってやらかすのが、水夏希演じるオールドミス・たぶんモテたことのない女、次女オーギュスティーヌ。鼻につきかねないあの役がなんだかかわいく見えたのは、元男役の持つ独特の芝居感と水夏希の生来の清涼感の影響だろうか。

同じ「女たち」でありながら、元娘役チームと元男役チームは、別チームっていいたいくらい、すっぱり持っているものが違った。体型がちがうといえばそれまでかもしれない。けれども身長と腰の位置の高さ、スレンダーさだけでそんなに変わる?
出演していた元娘役たちは、夢咲ねね、蘭乃はな、花乃まりあ
全員、ファンも多いがアンチも多かった、何かと話題にのぼり記憶に残る元トップ娘役たちで、現役時代はいずれも私の好みじゃなかったけれど…
いつぞやのエリザガラコンのとき、それまでみたどの元男役がやったエリザより何倍も彼女たちはよかった(※初代一路は別)。美しさでも表現でも歌でも、卒業後も研鑽をつんだ彼女たちは本当に良かったと思ったっけ。
同じように、こうしたストレートプレイでみる娘役芸の掟から解放された彼女たちは、彼女たちこそが、この舞台をより魅力的なものに面白いものにしている素晴らしい役者陣であった。

満を持しての8人目

お芝居、8人はほぼ出ずっぱりだけれども、前半途中までは7人なのね。そしてまだかな…そろそろかな…一人足りないな…っていうこっちの期待が最高潮に達したころに物語に8人目が登場する。この8人目の女ピエレットを演じたのが珠城りょう。
今回、女優デビュー舞台なので彼女は注目されているし、注目を集める魅力的なエサでなければならない。でなきゃ元トップの看板がすたるというもの。
彼女の声・せりふ回しの独特な硬さを、在団中は芝居下手だと断ずるファンもいたと思うがやっぱり彼女は芝居が下手ではない。ただ台詞いっているときより黙っているときの芝居の方がこの日はよかった。

水夏希のオーギュスティーヌの秘密が暴露され、彼女がスポットライトを浴びて弁解しはじめたそのときの、エッて顔してるときの様子とかめっちゃうまくて。
でも登場してまもなく、舞台上で何かがあったのか珠城りょうは相手(誰を相手にしてたか忘れた…)になにかしかけられでもしたのか、役や芝居とは絶対に関係ない噴き出し笑いを必死にこらえて顔をそむける一面があった。何があったか謎だが、楽しそうなカンパニーに参加できてよかったね珠城りょう。

当たり前のことなんだけど…

そもそも、脚本や演出が的を射てて面白いのって大事だよなぁと。この舞台は場面転換は一切しない。セットは終始同じ。
セリもなければ大きな階段もないが、とても上質で面白い芝居だった。安心して観られたし。
ヅカばかりみていると、役者は生徒だし、演出家はなんかみんなベテラン客に基本舐められているというか……。先日千秋楽をむかえた花組の「巡礼~」で、音くり寿たち貴婦人のようなテンションの観客が、リストたち芸術家=歌劇団のジェンヌや演出家、を愛でるような関係性にみえなくもない。
が、たとえOG公演とはいえよその人が作る舞台はこうも…まとうものがちがうのね、とふと思ったり。

千秋楽のライブ配信

今日12日の千秋楽も、ライブ配信があるという。3日間のアーカイブ付きで5,000円。ありがたく観させていただく。
アーカイブ付きでこの値段ならいいよね、と思う。