隣のヅカは青い

ヅカファン歴は30年ほど。しかし観劇デビゥは2019年から。それほど遠い宝塚についてのブログです。

さよならみなさま~みんな月からかえっていく

月城 かなと
海乃 美月
麗 泉里
空城 ゆう
彩音 星凪
一星 慧
まのあ 澪

2024年7月7日(月組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団    

七夕に去るなんてまあ、月組らしくって なんて会話が界隈で何百回かそこらされるに違いない。

まず

各組ジェンヌの顔と名前が全然一致していない身としては、大体、退団者発表をみても、何人かは「名前もはじめて」とか「名前はわかるけどどの子だっけ」という、気づいていなかった子がいるものだけれども全員わかるー!

そして次に思うことは、やっぱり昨年から激動の歌劇団なので「ヤダヤダもっといてよ!」とは…単純にそんな風にはもう思えない。
元々、それぞれがそれぞれのタイミングで、それぞれの進路へ旅立っていくのだから、何か言えるものではないにせよ。それでも。さみしいなと思ってもなんでやめちゃうのーなんて気軽につぶやく気持ちも、もう起こらなくなったな。

注目株は若手のうちに

実は一番名前を見てびっくりしたのは麗泉里ちゃんだったりする。さみしい…。
いちばんって書いたけどやっぱりトップコンビ以外は全員、うおっと思ったな。注目株の彩音星凪については、コロナの影響もゼロではなかったにせよ、きくところによると暁千星の強火担かつ緊張しぃで、前へ前へという性格ではなかったそうで。スカステでも育ちというか人のよさそうなというか、ド級美貌のわりに目が泳ぐな…とは思ったのでなるほどと。
先日の彩海せらバウでのあの迫力の死の役は、素晴らしいもう一人の主役であった。

一星慧くんは、目立つところにいつもいる子で。彼女も月組黒天使組の一人かな。
めっちゃきれいな顔で、フィナーレの並びで目立つんだよね。ああ~~最後の日を目に焼き付けたい。

そして空城ゆう。100期だね。100期も…10年だものね。区切りにしてたのかなとも思う。この歌劇団てところにいるとプライベートとの両立にかなりの制約があるし、まず10年って区切りはとってもありだとおもうし。でもがっち…いてくれると嬉しい人だった。

そしてこれからをひたすら楽しみに、と毎回注目していたまのあ澪ちゃん。親しみやすいかわいらしい子で好きだったんだけども、卒業を決められたのならばただ応援するのみ…。

月もそれ以外も

あらためてこれまでの配役なんかをさーっと再確認してみても、難しいもんだなあと思う。70も役がある舞台作品なんて、歌劇団の座付き作家ですら作れない。
けれどコロナ禍の人数制限舞台で露呈した通り、タカラヅカって人数の多さが魅力のひとつで。マスゲームとか応援とかアイドルグループとかみんなそうだけど、たくさんの人数でなにかをやるっていう、それだけでスゴイ魅力が湧き出てくる。
きっと思った以上に所属する全員の望むとおりに場面をいただける機会は、実力にふさわしい量だけ与えられたかと言ったら、そうではないものだろう。
「○○ちゃん歌/ダンス/芝居うまいよね」といわれる注目株よりも器用にできる子もいるだろう。
けれど。

けれどその全員がいなければ、タカラヅカの舞台は発光しない。誰もまわりにいなければ、大羽根背負ったスターが大階段から降りてきたってむなしいだけである。
華やかさや楽しさの正体は、真ん中に立つスターの存在ではなくすべてのタカラジェンヌの集合体、構成要素ひとつひとつあってこその団体戦によってのみ生まれるものであるので、私が気が付けなかったジェンヌもたくさんいるけれど、私は舞台に拍手をおくりつづけたいと思う。

少しだけだけど、名前と顔が一致していた今回の卒業メンバーたち。それでも本公演上はモブ位置だったりする。けれどでっかいダイヤを取り囲む小振りのダイヤみたいなもんで、
みんなびっかびかよ。

ラストデイが無事むかえられますように!





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とりあえずドン・ジュアンへの期待を綴る

結局予定が合わずチケット運もなく、ダイジェストやプルミエールで観たものしか見られなかった雪組ボイルド。
とうとう東京大千秋楽も観られずで、本当…生で全然観られずに大好きなソラカズキが卒業してしまった。
ソラカズキへの思いのたけでもここに書き散らそうか、などと思っていたら、怒涛の月組花組の発表…の中で…昨日から思うのはとりあえずドン・ジュアンかな~。

この作品についてはあるときから、ムクムクと複雑な思いが生まれるほど好きな作品。

大好きからウーンになった作品

イヤァ完成度の高いいい作品よ。たいていのファンがそうであるように私もドン・ジュアン=だいもんで。あれでハワワ()とやられたクチであるが、映像で3回くらい観たころですかねぇ…

…煌羽 レオに一番感情移入しちゃってねぇ……正確にはその煌羽レオの背後にいるその他大勢の女に

そっから、ドン・ジュアンてアレだなーって思いだしたらもうなんか神がかった役者がやろうがフーンて作品になっちゃったねぇ。でもひとこドン・ジュアンときいてすごいわくわくして。かなりイケてると思うし観たい。雪組の色気ある陰の芝居めっちゃ楽しみ。星空美咲ちゃんのマリアもきっとハマるに違いない!

ドン・ジュアンにいびつな愛を向けてしまう…

そもそもですけれど、100人斬りの男の最後の女が100人抜きの女だったらいくつになっても作品ごと愛せたと思う。でも修道院あがりの生娘にまで手を出した結果、その子すらないがしろにして最終的に選んだ女が自分に興味ねーおもしれー女系(才女)ってどうよ。シンプルにムカつくよ。

経験豊富なまさに100人抜きの女風のアンダルシアの美女を演じた煌羽レオ(※私のドン・ジュアン=2016年雪組版)。
そりゃあ見事な腹筋を披露して、男役がやるにふさわしいイケてる美女だったんだけど、彼女はモテモテイケイケ遊び人女風でいながらドン・ジュアンにマジ惚れな気持ちもちょっとあって、情感たっぷりな視線向けてたりしたわけで。
真逆の、修道院でたばかりの無垢な子にドン・ジュアンが落ちたならばなんか、あーもー男ってしょうもないわーで終わったと思う。気持ちの整理もつけやすいよ。自分と正反対の女に行く男に対しては。

けれどマリアってさぁ…きれいで知的で才能あって、戦地にいる婚約者がいて、騎士団長の鎮魂の像を造るという大きな仕事を請け負っていて。
婚約者のいるキャリアウーマンじゃないですか。おまけにドン・ジュアンに自分の立場や婚約者の存在を全然説明しないしたたかな女…。

これは私の周囲にいる美女に共通することだけれども、自頭がよく10代からずっとモテてきて同性からも好かれる嫌味のない美女ってね、彼氏チェンジのときってフェードインフェードアウトなのよねぇ。独り期間がほぼゼロできちんと引き継いでいくの。マリアお前もか。
自分にとってより魅力的な出会いがなければ積極的に別れようとする必要のないちゃんとした男を渡り歩いている証なんでしょうね。スゲェ。

何がいいたいかというと、ドン・ジュアンがいい男過ぎて、自分は彼に愛される女や彼とレベルの高いかかわりがあった女にも感情移入はできず、その他大勢とか、戦場の婚約者のほうを哀れに思っちゃって、つらいこの作品。

それを、ひとこちゃんが?星空美咲を相手に花組と?
マジ楽しみ過ぎるんですけど。

東上するよ聖乃あすか

で。その公演のB面が聖乃あすか東上ですか。いや~しっかり来てますねぇ。
花組って観るたびにほんと幸せになれる組なので、どっちもいいな~~。

でも「言葉」をテーマに、華やかなダンスナンバーを交えたロマンチックなラブコメディって何のことやらさっぱり^^




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サラリーマンのトップ、総理を礼星組がやるってよ

最初に思ったのは「コレ星組案件だったんですかねー?」ていう疑い。
それくらい、スーツのなかでもいわゆる「和物スーツもの(そんな単語あるんかい)」になりそうな、現代日本でスーツで星組?礼真琴?と思ったね。
舞空瞳にしても間違いなく現存している現代日本人の女性なんだけど、舞台上にいるとそれっぽくないから、え?年増の訳ありファーストレディ役やるの?と思ったし。
いや、総理を支える秘書官のほうかもしれないけれど。

ただまあ、タカラヅカで男役やってんだからスーツが似合わないなどということはなく。どうなるんかな?という期待値の方が高い。

対外的な星組事情

年間公演数も減らして、別箱公演(全ツではなく)については今後も、可能であればトップは休んでスター専科いれたりして、ってことは、他の組でもやりそうだし。
宙組の件、それ以外の組のトップ交代という時流のなかで、星組もそろそろ交代に動かないと次がね、と言われているんだろうけれども。
でもぱっと見もっとも人気も体制も安定してるフンイキになったし(二番手が3人目というのはまったく安定運営とは違うと思うが)、私としてはありちゃんにじっくり二番手時代をあげてほしいので、礼真琴体制にはもう少し続いてほしいな、なんて。

でも一番は本人の希望が叶ってほしい、なので……。

リーマンスーツかぁ

にしても、ジャパニーズスーツの男たちの演目はあんまりないね。やっぱり観客がときめかない題材だからかな?
でもタカラヅカ=恋愛ものって縛る必要はないんだから、コメディ作品ができたらいいよねぇ。

リーマンスーツ=たまきちのカンパニー のイメージが一番来る。さすがにあれをこえてくるザ・普通のスーツではなかろうが(総理大臣だし)、脇がわらわら増やせそうなんで、星組全体的に男子女子スーツ!な感じになりそうで、ちょっとこうして書いているうちにも、たのしそうじゃん!て思ってきた。

いや最初に演目観た時は???だったけど。

星組の発表がつづくよ

時間が止まっている宙組のことを思うと、実に苦しいものがある。内部にいる彼女らはなおさら複雑だろう。
月組の次期体制についても、いつ頃発表なんだろうかなぁ。

とりあえずは、見守りたい。




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「礼真琴」の表情に理由あり ヴィオレトピア感想

指田珠子先生って名前は憶えているけど誰だっけとピンとこなかったが「龍の宮物語」の…アー!

指田先生のお好みって

龍の宮物語
冬霞の巴里
海辺のストルーエンセ
ときて大劇場ショーデビューでこのVIOLETOPIA(ヴィオレトピア)。

ハッピーラッキーきゅん萌え大好き!今いちばん流行ってるモノ大好き!&部活とか学校って友達がいてサイコー!夏休みは友達に会えないからやだ~涙 
…なノリはきっとお好みでない方と思われる。簡潔に書こう、きっとメリバ好きですよね指田せんせー。

にしてもこれだけ物語性やテーマを明確に打ち出したショー作品であっても、ファンから「礼真琴きゅんの衣装がひとりだけぼろいプンプン」て感想が投げられるのならば、それは非常に萎える話でありかなしいことだ。

作品紹介を読んでみるよ

生観劇できていないので手元にパンフがないから、深堀りする情報を持ち合わせていない。公式の紹介文をみると

ユートピアディストピア・・・。「TOPIA(トピア)」は「場所・郷」を表す言葉。

とわざわざここ数年ネット配信ドラマの隆盛などでテーマとして一般化しつつある「ディストピア」という単語をあえて華々しいショー作品の説明文に入れてきている。
でも文学にも造詣が深いはずの指田氏がそもそも「ユートピア=理想郷→光、よいもののイメージ」「ディストピア=非理想郷・暗黒世界→闇、昏いもののイメージ」…などと記号化したはずがない。

礼真琴が降り立った世界は「ヴィオレトピア」

ユートピアというだけで、この言葉を造ったトマス・モアが示した本来の意味に近い世界なんだろうなと予感した。ショーはどこか不気味な、怪しげな雰囲気があり、さまようフードを被った青年(礼真琴)が最後に再登場したところでも、「解せぬ」って表情でいたのは、この青年が「ヴィオレトピア」に酔いしれてここの一員に…なるわけではない感じもまた、でしょうねと。

ユートピアという言葉と概念を示したトマス・モアも「格差がなく個性もない非人間的な管理社会」として描いていることから、物語の題材に「ユートピア」というものが出てきたときは、たいてい見た目通りの理想的な世界ではなくて、なんか恐ろしい仕組みがあったりなんかして。
…すみれ色の理想郷としてその辺も匂わせているのだとしたら指田先生、攻めていらっしゃる。

礼真琴がフードかぶって戸惑いたくなる絢爛豪華な世界ってのもガッテンである。

ま、それはそれとして

で中身なんですけども。
最初はなかなか出さなかった舞空瞳の脚が、ここ最近毎回でますね。ショーで。なんでですかね。公式のトップページにも出てくる緑のミニスカ?みたいな衣装、何がどうなってんのかよくわかりませんでしたがコスチュームものは何でも着こなしますね~。

暁千星が、ちなつパイセンの遺伝子を引き継いでいるのか、イイ女役で登場。もっとやってくれてもいいのに、数年前とは別人の迫力がでてきてて、もっともっと、これからが楽しみ。

中詰めは曲も印象的でよかったな。おぼえられなかったけれどまた聴きたいなと思った。そして客席降りはついに必修科目に戻ってきたのね。なんだかんだ、客席通路をジェンヌが走り抜けるとドーランの香りやなんかいい匂いがして華やぐ。

退団者へのはなむけシーンはここかな?というところ…、茶系のジャケットのところ、の序盤。胸にお花つけている子、全員を銀橋にわたらせてあげてほしかった。

他、ショーの記憶がうすれているので、生観劇にておさらいしたい。

すみれ色のアルカディア

すみれが110年咲く場所が、ただの理想郷ではない『劇場の光と闇を描く』とはっきりと紹介文に描かれているとおりに、そして平沢進のパレードという名曲を持ってきた点を考えても、「グロテスクな美」なところを描きたかったのかなと思った。ただただ無邪気に美しいだけのショーでない点はある種の潔癖さなのかもしれない、とか妄想したり。少なくとも平和ボケした作品を出すまいという意思は感じた。

もしもショーのタイトルが「VIOLEDIA(ヴィオレディア)」であったなら。
アルカディア」という言葉もまた「理想郷」の意味を持つ。それは「ユートピア」よりもより牧歌的な、我々がすなおに思い描くもっとも夢見心地な平和な楽園のイメージを保有した言葉である。

すみれ咲く場所が真に理想的な平和な楽園だよ、なんて思いや願いが込められていたら、もしかしたら作品名は「VIOLEDIA(ヴィオレディア)」だったかもしれない。

タイミング的に皮肉が過ぎていないかと思わなくもない。ショーにおいてはひたすら夢夢しいのがある種正解ではないかと思わなくもない(タカラヅカは全年齢向け・家族向けであるという創設時のコンセプトに立ち返ると)。

指田先生の手による「片思い真っ盛り脳なテンションでハートがとびまくりよぉ」みたいなショーもひとつ作ってみてもらいたいなと思う。わざわざ味付けしなくてもたぶんそのままでちょっとしょっぱいと思うし~。





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彩海バウ、タイトルと冒頭と終わりと

感想として書き残さねばと思っていたのにすっかり忘れていた。

なぜプロローグがあそこからはじまったのか

そりゃ「死」の存在を描きたかったからでしょうが…
舞台のエンディングの「死」のシーンと時間軸がそろっていないので、お芝居のラストシーンが「ここで終わり?」となったね。

エゴン・シーレスペイン風邪で死亡。妊娠中の妻エディトも別室(舞台上にはいない)で同じくスペイン風邪で死亡。それがエゴン・シーレの人生の終わりで、そのシーンからお芝居は始まる。
ここで描きたかったんは、全編通して登場する「死」なんだろうけれど。

結構な改変

私がライブ配信でたった一回、しかも一幕目うたた寝してしまっての観劇だからはなはだいい加減な感想ではあるが、彩海エゴンが「死と乙女」を発表したのは、ヴァリの死を受け止めてのこと、というようにみえた。

史実はというと、1912年に悪夢のような逮捕事件があり、これを助けてくれたのはヴァリ。一幕ラストの場面か。2幕冒頭、彩海エゴンがぶんむくれているのは禁固刑くらって、出てきたら大事な作品燃やされてというふんだりけったりな目にあったから。1915年6月にエディトと結婚。このときにヴァリに「君との関係を続けるための結婚だ」みたいな糞発言をしてヴァリから三行半を突き付けられ、彼女は二度と彼と会うことはなく従軍して1917年病死。

「死と乙女」は1915年、エゴン・シーレが徴兵される前夜、エディトと結婚後に描き上げたもので当初のタイトルも「男と女」とか「絡み合う人々」というタイトルで発表されたらしいので、この舞台での圧倒的な作品の意味付けとはまるで違っており、これは熊倉先生の素晴らしい改変物語化が効きまくった舞台作品であるということがわかる。

まあ、朝ドラの「らんまん」で美化されまくった植物学者の人生にいたはずの最初の妻の存在がドラマ上消されてたっていうくらいの物語化だってあるんだからこれくらいかわいいもんだろう。

『Golden Dead Schiele』ってどういう意味よ

クリムトなら「黄金の死」でよかったかもしれんが、エゴン・シーレが主題で、物語の主題も「死と乙女」という作品で、ラストシーンが「死と乙女」の死とエゴン・シーレが成り代わって…
というあのどきどきした幕切れで終わるならばタイトルとあまりリンクした感じがなかったかなぁ。私には読み取れなかった。

エゴン・シーレ自身が、クリムトの装飾的な作風から距離を取って、人体の降り曲がったポーズとか、裸体画とか別の路線にいったのだし、なんで彼の死に「Golden」をつけたのだろう?




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ハイカロリー星組千秋楽を観る。~RRR~

前評判も高く、話題性も高く、おまけに幕が開いたら公演そのものの評判もよしという、好調な公演となった星組RRR、そしてショー「VIOLETOPIA(ヴィオレトピア)」の大劇場千秋楽を、配信で観た。

ファーストインプレッション

ちらほらと前評判やほかの人の観劇感想を観ていたが、実際に観てみると、実によい舞台版RRRだった。
「あの長いインド映画を?」といわれていたけれども、RRR映画をちゃんと見た人間はわかると思うがあれってまあぎゅっとできるもんね。むしろ1時間半でちょうどいい…。
思いのほか映画版に忠実であったな、という点と、きわみ君の役は映画じゃイヤなちょい役だったのがいいやつに膨らませてもらってよかったねと。映画をほうふつさせるような美声だらけで、実に素晴らしかった。

ショーにかんしては、指田先生が何でそんな評判よかったんだったか私は覚えていないのだけれども、あとスキャンダルでちゃったんだっけ?ショーはいささか重かったけれどまあ面白かった。平沢進の音楽は音のアレンジがイマイチで、原曲がパワーダウンしていた点がマイナス。生かしきれないなら使わないでほしい、とまでは思わないものの、もったいないことだ(私は平沢進ファン)。

にしても、RRRのあとのショーならばもう少し軽めでよかったんではと、思わなくもない。

ルートビームの意味

ヅカ版RRRの感想に散見された、主人公はラーマじゃないのばなしだが、徹底的に物語を動かすのはビームであるし、ビームを真ん中におかなければ、さらわれた妹マッリ(瑠璃花夏ちゃんめっちゃよかった、映画の本役に負けていない美声!)との熱い家族愛(実の兄弟じゃないけれど一族のために、他人のためにすべてをかけられるキャラクターであることが魅力)
からのマッリの歌声や、ラーマに鞭を打たれながらのコムラムビームの名曲は、ああも沁みなかったろう。

ラーマは「ビームを捕まえること」によって特別捜査官になり英国の武器を横領して村に返って英国と戦おうという、結構無茶な目的で英国警察の一員となっていて、大きな目的という意味では志は同じであるラーマとビームは、映画ではとんでもないスケールで拳をぶつけあう。

その前段階、物語としてはほんの序章の位置にあのナートゥダンスのシーンはあるんだよねぇ。それがあそこだけ有名になっていたから、てっきりクライマックス的な、物語の中心にくるダンスシーンかと思っていたよねぇ。映画みてびっくりしたもの。

ヅカ版でもあそこは最も盛り上がるシーンに仕立て上げられていたけれども、あのシーンもあのシーン以外も、結構映画に忠実で。これが実現できるのがタカラヅカのすごいところだ。
映画ではジェニー(舞空瞳)はもっとちょい役で、ナートゥダンスのシーンのあとはモブになる。
かといってマッリをヒロインにするのも違う。映画じゃ泣いて歌うもっと幼い子だったし。ラーマの婚約者シータなんて後半急に出てくるほぼ台詞のない役だったし。
なのでヅカ版でのヒロインはやっぱりジェニーしかなくって。
長い映画のわりに役が少ないRRRをヅカ版にするには、やっぱり、無茶無謀に立ち向かう勇敢なる者ビームが主役。そのビームが映画においてもあこがれた存在であるジェニーがヒロインで…とした舞台版は映画版を見て楽しんだ自分にとっても、とてもよい舞台だった。

歌がいい

礼真琴だけではなく、みんな歌がいい。星組は強いねぇ。
映画の音楽がどれもよかったので、日本語版も思いのほか言葉がハマってよかったなぁ。小桜ほのかちゃんが、この物語の最凶女、インド総督の妻を実によい加減でやっていたのは安定。私は彼女が愛嬌のある意地悪な女役をやるのが好きなんだけれども、今回の役はとてもじゃないがかわいげのない極悪人である。だけれどもヅカ版ではかなり表現がまろやかになっていたワ。

日本人はキラキラ西洋貴族のコスチューム大好きだし、西洋貴族の話が好きだし、英国王室大好きだけれども、数十年前まで世界の1/4を文字通り征服していた英国の、そのきつい支配を受けていたインドが、いまもなお、その当時の物語を描く際に、英国人を容赦なく悪人として描くことについては、日本人としてもう少し背景を学んでおかねばならないと感じた。
そうした点においても、このRRRという作品は、元の映画を観ておく方が舞台を楽しめるかなと思った。

礼真琴のコムラムビームを聴きながら、私はあの映画の同シーンがまざまざとよみがえってきたからねぇ。当然ながら作り手も同じ感覚でいると思うし。

パワー!暁千星

ありちゃん!
ありちゃんってやっぱり手足の長さパネェな、と思った。あらゆるシーンで脚の長さに目がいってしまう。ひげも似合っていたし、低めの声でのせりふ回しもスッと入ってきて、なんかますますありちゃん…素晴らしい…
ずっと見ていられる間違いないスター。

寒ブリか舞空瞳か

いやぁ、脂がのっていらっしゃる。
既に次回、MSが発表され本公演以外でトップと分割でござるで色々と物議をかもしているが、はてさて。確かにもう任期としては長期。当初気になった芝居そして歌はめきめき上達。女としても歳をかさねて、どんなに華奢であっても女らしい柔らかさがでるのよね。個人的に彼女が星組以外ってのはピンとこないけれども。
ジェニーとしてはやはりナートゥダンスシーンで、男役たちの拍手をかっさらうカッコイイ娘役群舞の真ん中で見事に映え映え。
彼女を観ていると、ときどき、持ち味は男役に向いていたのかな、なんて思うことがある。

その他極美

お芝居においての役どころは、最後ちょっとおいしくしてもらっていたけれども基本的に脇役。ありちゃんときわみくんが並ぶとこう、足が長すぎてえらいことになりますね。
彼女も、柳生あたりではどこにいるんだかわからなかったけれども、いつのまにか舞台上でもキラキラしているのが当たり前になったなぁ。


このまま何事もなければ、今月後半に1度生で舞台を観られるはずなので、今回のライブ配信はよい予習となった。にしても、
もう少し名前と顔が一致できるといいんだけどな~あんまりわからない。…。


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キラキラ☆彩海せらを堪能する

Golden Dead Schieleライブ配信で観た。
よいバウ主演であった。
そして真っ先に感想として書き残しておきたいのが、登場シーン、肩だか顎だかをクイッとしただけでわかる夢奈瑠音ちゃん。
すっかり細くなって一瞬誰だろとなった英かおとくんも、本格的な年上の男の役だったのかな、と。

とはいえですけども

ワインがぶ飲みしておなか一杯食べてヨギボーにどっかと寝転がったから一幕は途中でスヤアと寝落ち。
2幕が開いたらプンスコしてる彩海せら君でね。このすねて、妹の結婚式ですら態度悪い主人公ってのがね、すっごい雪組だいもん時代の作品を思い出して。彩海せらくんのお芝居にもだいもんの影響あるような気がして、ちょっと懐かしくなった。
にしても、彩海せら!!
彼女は小柄とか顔がかわいすぎるとかいうけどいやいや、とっても見映えがあるしスタイルがいいし手足ながいよね?長く見えたよ。娘役と並んでもシュッとしてとっても素敵だった。
それにとにっかくキラキラ。

そして声がいい。活舌がいい。歌がいい。初めて彼女を雪組の舞台でみつけてから、毎回やっぱり素晴らしい才能の塊だなあとわくわくした。

画家を主人公にするとアレ問題

よく映画でも画家を主人公にしたものはたくさんあるし、こうして舞台の題材にもなりがちだが…、まあ有名な画家ってどいつもこいつも、ドラマチックな人生とか、物語にしやすい波乱万丈な人生とかそう表現されるだけあってクズが多いよね…。

エゴン・シーレときいてもなんかピンとこなかったけれども、絵や有名な自画像をネット検索したら、どこかでみたことある。一応自分も美大卒なのできっとかつてはもっと知っていたはず…。
あらためて作品を観ると、いまの女性漫画家が、うーん、20代30代向けの漫画雑誌に書いているような漫画家のイラストっていわれても信じちゃうようなすっごいイラストレーターが描いた感の強い絵があって、当時はそりゃあ異質だったろうなあと。

物語は、史実のエゴン・シーレが結婚したエディトが最終ヒロインなのかと思いきや、彼の心にずっといたのはヴァリで、ヴァリがヒロインだったのね。白河りりちゃんは歌だけではなくお芝居もデュエダンもよくて、こうして場があたえられるべき素晴らしい役者さんだと思った。

あとエディト役の花妃舞音ちゃんは、サレ妻役でもあったのだが、いじめたくなるほどかわいい本妻感もヨシ。

史実を確かめると、ヴァリは10代からエゴン・シーレのヌードモデルを務め、同棲もし、その間エゴンは14歳の家出少女を家に泊めたとかいう少女好きの話がいくつかあり、さらに打算的に結婚したエディトの姉とも関係があって、さらにヴァリのこともつなぎとめたくて、妻とヴァリの両方と1年に1回ずつはバカンスにいくのはどうかという「妥協案」を提案し女たちにブチ切れられたとWikipediaにある。実に共感しがたいこの価値観の男を彩海せらは好演していた。

もてあます魅力

脇に徹したやすちゃんは、卒業したからんちゃんの枠にあがったのかなと。そしてうーちゃんにはひとつの試練というか、軽い老けっぽい役への挑戦であったように思う。
るねちゃんは重要なクリムト役で、2番手役というポジションであったが、時間が許せばもう少し場面を与えたかったろうと作り手も思ったんじゃないかなあと思わせる、出番は限られたものの熱演であったと思う。

そして、こういう役は美味しいのか難しいのかというダンサーたちに、「死の幻影」という主人公エゴン・シーレの影のような役を丁寧に表現されていた彩音星凪。とても印象深かった。せりふの有無が演者のやりがいではなかろうが、とっても難しかったろうなと思った。目がでかいのでオールバックだとほんのりやっぱりれいこちゃんぽいね。

あとは群舞でも何人かの場面でも、少し目立っていたのが七城雅であった。

フィナーレダンスは男役群舞が、ジェンヌさんたちも気持ちよさそうだったし、みているこっちも満足した。
ああ、君らがGOATにいなかったんだよね、探したよ、ここにいたんだねぇなどとちょっと思ったり。娘役も男役もみんなかっこよくて、公演全体の満足度をひきあげるフィナーレであった。

月組の明日はどっちだ

次期体制が全く見えてこないというか、保留感があり、こちらとしても決して焦らずにゆっくりとよい方向にまとまってほしいなと思っているのだけれども、メンバーは2分割しても充分に力がある役者がそろっていて、彩海せらくんも本当に魅力があって、次の月組がますます楽しみになった。



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