あれよあれよという間に彩風 咲奈演じる主人公は国を出る決意をする。夢と希望と理想を胸に、「あそこに行くんだ」と希った紫禁城から、何ひとつ夢や理想の通りにならず逃げることになる。でもその心中にはやっぱりあの日と変わらぬ理想があって…。
宦官
どうしても描かねばならない場面が、沢山あったと思うしそれを凝縮し濃縮してこの芝居が構築されていると思うが、原作を知らないひとりの観客であった私に絶対にみせなくてはならぬ場面、この作品の背景や世界を煮詰めた場面を指すなら、ここだ、と感じたシーンがあった。
それがクライマックス、政変により国をでるか、という梁文秀(彩風 咲奈)を思い、追いかけるように、紫禁城の内側、赤壁のあいだを必死の顔で駆けてくる李春児(朝美 絢)の、あの場面。
絶対あの場面が、蒼穹の昴という舞台の肝(キモ)であったよ。
高くって延々に続く赤い壁の内側にはいったら、死ぬか、死んだのと同じようなモノになるまで出てこれない…ましてや、宦官がまともに生きられる場所はあの赤い壁の内側しかなかった世界の物語だもの。朝美 絢は今回京劇シーンで名をあげたけれども、いやいやあの、ぼろをまといながら走り寄って行っていた昔の姿(一幕冒頭の当たりのシーン)と重なるような最後のシーンにつながるところで、わざわざあの赤壁の紫禁城の内側の世界を再現した場面は、どーしても、どーーーしても見せたかったに違いない。
あそこにも久城あすとか
あす君は相変わらずあっちこっちにいたような。通し役としては日本人の記者役で、後半何気に重要なキャラだったけど、芝居の幕開き、居酒屋宴会シーンにもちゃっかりいたし、なんかそこら中にいたような。気のせいかな。
あと、強い印象を残した汝鳥伶の伊藤博文。女子が演じているのよって誰も信じないと思う。伊藤博文過ぎて吹いた。
何かと話題の、期待の若手華世 京は、私にはどれがどれやらでわからなかった。本公演は原作ありきで初戯曲化の作品だが、話がでっかすぎて役を書ききるわけにもいかず苦心した爪痕が感じられる作品で、諏訪さきの「いなかもん」という意味なのか訛りの強い青年も「主要な脇役」のひとりであったが、彼の印象的な役に対して、たぶん重要だったんじゃ…?ていうミセス・チャン(夢白 あや)がドヤ顔の美女の脇役すぎて、何だこの扱いの差はと。キャスト順とあってないのでは。
たぶん、違うんだろうな、たぶんもっと裏で凄い色々やってる子なんだっていいたいんだろうな、と察してあげる優しさを持って観る必要があった。そういうのはこの二つの役の描かれ方だけでなく、他の役にもちょいちょいあったな。
それでは一曲…西太后で…
専科さんが歌ってくれるの、私結構好きで。とはいえこんなにたっぷり聴かせてくれるとは思わなんだ。やっぱり本公演のヒロイン1位は西太后だったなぁと。
この人物を大きく重く描かねば順桂(和希 そら)や袁世凱(真那 春人)、楊喜楨(夏美 よう)らの動きの動機が弱くなるし。
物語の中心はやっぱり西太后だった。
ソラカズキ
順桂(和希そら)の役は、超優秀な若き官吏のひとり。出てきた瞬間から、名誉ある科挙の3位内の成績で皇帝への御目通りまで叶って…
ってのに、そんな己が誇らしくも心から満足はしてないなーって。
ソラカズキは出てきた瞬間から目で、表情で、顔の角度やほんの少しの影あるお芝居で、それがああいう破滅の道を選択せざるを得なかった役なのを、もう、素晴らしい精度で演じていた。
事前に和希そらが出演した番組で、「阿片窟のシーンは、順桂の理想や意志を阿片窟の女たちが邪魔している、順桂を堕とそうという」てなようなことだと語っていたという情報を得ていた。あのシーンの最後に、順桂が握ってた糞の塊みたいなのが爆弾だと気がついたのは、私は、事が起こってからで…
それで阿片窟シーンが誤解されがち(阿片窟の連中に爆弾握らされた的な)てことで、解説されたのかと納得。
ちゃんと、そうじゃない、あれは最初っからあの順桂という役が持っていた仄暗い情熱の先にあった行動だと、しっかりと伝わってきましたよ。